独楽の旅

元気で山野を歩き、心を癒してくれたものは立ちどまって気ままに写し、ブログに載せ、自分で存分に楽しむのが無上の喜びです。

524- 【F104-J トラブルから43年】

2015年09月21日 | [回想]

[ランプに並ぶF104Jの勇姿]

今から43年前の今日、即ち昭和47年(爺が36歳)の今日は快晴無風の試験飛行には最高の日和でした
そんな好天の元で午前10時に名古屋空港に隣接する三菱名航のランプを何時もの通り気分揚々とタクシーアウトしました
今日の飛行は4年に1回行われるオーバーホールを終わっての最初の社内飛行だったのです
能登半島輪島沖の飛行空域(海上)でのテスト飛行に向かうため、滑走路上でエンジンチェックを念入りに行いました

今回の試験飛行は防衛庁(現防衛省)との契約に基づいて4年に1度行われるオーバーホールが終わり、その1回目の社内試験飛行(CF-1)に向かう予定でした
エンジンチェックを終わり、自信と安心感を抱いて「さー行くぞ」とブレーキをレリーズし、同時にスロットルをアフターバーナー域に進め、いつもの通りに離陸滑走を始めました  約12秒で機速は浮揚速度に近い約200ノット(約370km/h)に達しました
操縦桿をゆっくりと後方に引いて離陸していきました
その直後です  その瞬間に自分が操縦するこの機体が自分の意志とはかけ離れた想像もできない異常な動きを(極めて危険な)起こしたのです

浮揚した機体の操縦席に独り座る私は、機体が墜落し火炎に包まれて死んでしまうのを必死で(否、本能的に)抵抗し、生きるために回復操作をしてゆっくりと機体は左に回復を始めてどうにか水平飛行に移り、大事故に至る寸前でゆっくりと回復し滑走路の線上からは大きく右に外れながらも北方の岐阜基地の方角に向かって上昇を続けてくれたのです  どうにか少しだけ私の意図する操縦に従って機動してくれたのです
その時の操縦桿の位置は中心から左へ10cm近く変位した位置でやっと真っ直ぐに飛べたのです

今もこうして元気で活き延び、[ブログ]や[ウオーキング]を趣味に日々を過ごし、間もなく傘寿も迎えることができそうです
あの時死なずに私を死の淵から救ってくれたのは他ならない神と仏のご加護に依るもの、そして 亡き父母が私に産み残してくれた満足な五体のお陰だと感謝しております

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