若い頃から考えていたことですが、生命も一つのエネルギーの形と考えられると。実際、その通りなのでしょうが。エネルギーであれば、エネルギー保存の法則が適用されるであろうと思いました。であれば、地球は太陽から得られるエネルギーと宇宙へと放出されるエネルギーとは収支が合っているはずですので、一つの閉じられた系とみなせるでしょう。すると、地球の持っているエネルギーは一定だと想定できます。ことはそんなに単純ではないと思いますが、このような前提に立つと、地球上に存在できる生命には限りがあり、たとえば人間が増え続ければ、ほかの生物は減らざるを得ないのではないかと考えるに至りました。20代の頃からの考えですが、還暦を過ぎても変わるどころか、より確信を強くしています。例として、河川でサケマスが盛んに養殖放流されていますが、これらサケマスの人為的な増加に伴って、河川内の他の魚種が減ってきていることが分かっています。一つの河川系で養える命には限界があるということの証左ではないだろうかと思うのです。
さて、人間は昔から、「不老長寿」を願い、研究してきました。今でも続けられています。果たして、それは正しいことなのでしょうか?人が死ななくなれば、老人が増え若者が減り、社会の活性が失われていく気がするのです。年を取ってわかることですが、定年には意味があると。つまり、いくら年を取っても頭脳明晰で、気力体力ともに衰えを知らない人も極稀にいますが、それも永遠に続けられるとは考えられません。ほとんどの人は能力が衰え、仕事の効率は落ち、間違いを犯すことも増えて、体の無理は利かなくなります。そういう人間が増えることはいいことなのでしょうか。人は死ななければいけないのだと考えるようになっています。でも、死にたくはないと、本能は訴えてきますが。
科学、医学はさまざまな方法を発見、利用し、あらゆる病気による死を遠ざけてきました。今後も、その努力は続けられ、成果も得られていくでしょう。でも、人は死ななければいけなのだと、すべての人が考えなければいけないと思うのです。これから研究してほしいと思うのは、人生の最後の迎え方だと強く思うこの頃です。