人形の街、徳川将軍の日光参詣の街道上の街、古くは室町混乱期プレ戦国時代の上杉家宰太田道灌の拠点岩槻。
この街には思いのほか神社仏閣が多く見られます。
その一寺院、大竜寺。
山号は雲居山、居は”きょ”であったり、居士の”こ”であったりそのにごり”ご”であったりします。
雲は間違いなく”うん”でしょう。
するともし”こ”読みだったら・・ん~ ここまでにしときましょう。大ごと・・
山門に、本堂(曹洞宗寺院でなんという伽藍名になるのかわかりません。一般にという感じで・・)柱に竜がにらみを利かせます。
そして竜も阿吽の形に造像されるということがわかります。
なかなか立派な寺です。
誰が造った?
青山忠俊・・この人は三代将軍家光の傅役を務めました。
傅役(もりやく)は律令官制の東宮傅(とうぐうのふ、皇太子の教育役)をまねたものじゃないですかね。次世代将軍の教育役となります。
ただ名のとおりの”忠”ですかね・・諫言が過ぎたようで家光の不興を買い不遇となったようです。
竜の逆鱗に触れてしまったのかもしれませんね。
丹波にも青山氏というのがあったな・・と思ったら、本人は縁故はないようですが、縁戚になるようです。
この寺の付近は城下町の名残? 田んぼの通路の名残? わかりませんが結構迷路でした。
火災により焼失、平成期に再建されたという古くも新しいお寺のようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます