青豆と天吾、そうかはわからないけど1Q84はその二人のラブロマンスと受け取った。背景が厳しいけど・・
しかし、沙林は違う。
小説を言いながらもドキュメンタリーの面がある。
教祖ほか主要幹部の死刑を以って解決したという事件だが、今なお不安が残る。
松本の裁判官宿舎の近辺で謎の毒物死傷事件が起きた。
警察は”薬物好き”の一民間人が犯人との線で事件を見、マスコミがこれを追った。
犯行現場は池の周辺という思い込みから実際の現場保存はされなかった(捜査車両が走りまわり事件の痕跡は消失)。
富士の教団施設周辺でも謎の毒物事件があった。
立ちふさがったのは宗教、宗教は信教自由の法理論から厚く保護される。
言い換えれば立ち入れない。
当時警察はまだ民間人説を捨てていない。ビーカー、フラスコ程度のもので致死性毒物が生成できるとの稚拙な推論である。
ここでの躊躇が地下鉄サリンを起こさせる。
無理もないかも・・
サリンは化学兵器、平和な日本で使われるはずがない。
そもそもサリンてなんだ?
事件発生に際して精神科医で衛生学にも詳しい九州大学教授(筆者)が対応を進めていく。
事後の裁判についてもである(所見や鑑定の証人)。
そしてその先の現在である。
もし、サリンに限らず未知の毒物が散布されるようなことがあれば、まさか・・などと言っていないで対応できるんだろうか?
教団はカラシニコフのコピーなども作っていた。
同銃は部品数も少なく、構造も簡素で第二次大戦時の武器であるにも関わらず広く世界で現役である。
相手が無力かそれに近い状態の近接戦闘なら精度は特に重要ではないだろう。
わずかな加工技術があれば安価に大量生産が可能ということで、どこで作られても不思議はない。
つまり、日本であっても毒を撒いて突撃銃で武装した勢力の活動が可能ということかな。
内憂であり、外患ともリンクできるかもしれない。
そんな中で緊急の対応力が試される機会の訪れないことを切に願いたいが、その機会は必ずやあるという確信は持ってもらいたいものだと思う。
ちなみに「沙林」は適当な当て字かと思ったら、台湾におけるサリンの表記らしい。
筆者も交流を持ったようだが、台湾に毒物(毒ガス)の著名な研究家がいる模様。
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