「願興寺」悠久の1200年

最澄縁の願興寺ブログ。2015年には開基1200年祭を予定。本堂、24体の仏像が国指定の重要文化財。

お恥かしい、申し訳ない!

2011-04-26 08:48:58 | 仏教

昨日お知らせした薬師如来の動画で、薬師如来さまの写真が左右反転しておりました。誠にお恥かしく、薬師如来さまには申し訳ないことをしました。新たに作成しなおしてアップロードしましたのでよろしくお願いします。

願興寺薬師如来の世界

「願興寺薬師如来とその眷族の世界」をyoutubeにアップロードしました

2011-04-24 16:59:36 | 仏教

願興寺の薬師如来とその眷属たち(日光・月光両菩薩、四天王、十二神将)の動画をアップロードしました。壮麗なお姿をご覧ください。きっと満足されると思います。お電話をいただければ拝観できます。本尊は秘仏で子年の4月がご開帳ですが、2015年の開基1200年祭において、ご開帳するとも考えられます。

願興寺薬師如来の世界

願興寺公式サイト

4月3日(日)は蟹薬師祭礼

2011-03-27 14:48:12 | 願興寺

来る4月3日(日)は999年から続く蟹薬師祭礼が挙行されます。815年に最澄上人によって灯された願興寺の灯りを受け継いだ一条天皇の皇女とされる行智尼が、都の雅を民衆に伝えたのが起源とされる由緒ある祭礼で、地元の保存会の人々の並々ならぬ決意で続けれている祭礼です。毎年、この祭礼を待つかのように桜の満開を迎えます。伝統ある祭礼を桜とともにご覧ください。

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節分会を開催します

2011-01-08 16:47:54 | 願興寺

昨年より開催しております節分会を今年も1月16日(日)に開催します。厄払いを午前10時より(受付は9時30分より)行い、11時30分より厄払い実施者による豆まきを行います。寒さが予測されますので、豚汁を準備しております。

また、ミカン券やうどん券の用意もしておりますので、多数のお越しをお待ち申しております。名鉄御嵩駅から数十歩という立地にありますので、この機会に願興寺での厄払いはいかがでしょうか。住職が心をこめてご祈祷させていただきます。

よろしく、お願い申し上げます。

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白日に晒すということ(その1)

2010-11-08 08:23:36 | Weblog

4,5日前に、事業仕分け作業の中で「交付税特別会計」の33兆6千億円の借金が報道された。この借金は地方自治体分なのである。国の分は19兆円あり、こちらは既に一般会計に計上されていた。この地方分の借金33.6兆円は、知る人ぞ知る借金であり、政府としては、隠しておきたい借金だったと思う。

地方交付税は自治体相互に差が生じないように、収入の少ない自治体に多く支給するように設けられた制度であり、これが日本の地方自治は社会主義的であると云われる所以である。ではこの交付税はどの財源から支出されるのかが、疑問なところである。この財源は取得税、酒税、法人税の32%、消費税の29.5%、酒税の25%が当てられることになっている。

当然のことながら、税金の一部を地方交付税に当てるのであれば、税収が落ち込めば交付税に当てるべき財源も落ち込むのである。これを地方交付税の入りの部分であることから入口という。それに対して、地方自治体は前年度と同じ程度の地方交付税を期待して予算を計上し、それを基準に地方への支給額が決定された。この支給額が出口と呼ばれるものである。

景気が後退し税収が落ち込んだ分だけの差額をうめるために借金を重ねた結果が、交付税特別会計の借金であり、国の償還分19兆円であり、地方の償還分33.6兆円である。つまり、入口に対してそれ以上の出口を地方自治体は期待し、それに見合った分を国は借金により支給してきた。

こうした地方交付税やひも付きの補助金によって、全国どこへ行っても特徴のない同じような町が出来上がり、特徴のある町を形成しようとするという気概ある自治体が少なくなってしまった。この借金の償還については、00年、05年、10年と3度に亘って償還を審議されたが、景気の悪化を恐れるために見送られた経緯があった。

もし、この交付税特会の償還が始まれば、わが町の交付税は10億円ほどが給付されてきたが、その金額はどれだけ減少するであろうか。ということが、わが町の財政を預かる担当者の悩みであることは、疑う余地のないことであろう。今になって思えば、この交付税は税収の一定割合から超えた分は支給せずに、税収の一定割合のみを支給しておくべきだったのではなかろうか。

この借金については、国も地方も白日の下に晒したくなかったに違いない。しかし、この報道は、尖閣諸島の中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきたのを撮影した動画の流出によって、消えてしまったようだ。

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冒頓単于(ぼくとつぜんう)の国家観に学ぶ

2010-11-02 10:44:18 | Weblog

学生時代を北海道で過した私は、友人たちとなけなしのお金を持って、北海道を一周したことがあった。根室に辿りついた私たちは、テントを張るには寒すぎて、納沙布岬で車の中で一夜を過した。朝になって目を覚ますと6万円で買った薄黄色のカローラが、真っ黒くなっていた。「呑んで騒いで、丘に上ればあ~ 遥か国後の白夜は明ける」と唄われた国後の爺々岳(ちゃちゃだけ)が噴火したのである。

知床旅情では「遥か国後の…」と唄われているが、根室から知床にかけて進んでいれば、海を隔てて手の届きそうなところに国後は存在している。そんなところをロシアの大統領が訪問したのである。今ではそんなに話しに上らないが、私が北海道にいた時分には、漁船がソ連(現ロシア)にだ捕されたニュースが飛び交っていた。

北方四島も尖閣諸島も我々の住む岐阜県という日本の中心部では、関心は薄い。司馬遷の史記には、単于(匈奴での君主)の後継とされた冒頓(ぼくとつ)が、父親の新たな妻に男児が誕生したのを機に、後継から外され隣国の東胡に人質にされた話がある。冒頓は東胡から逃げ出して、父親と新たに後継とされた男児とその母親を殺害して、匈奴の単于になるのであった。

東胡はその後、冒頓の持つ名馬や冒頓の妻の一人を差し出すように迫り、冒頓は部下の反対を押し切って東胡の要求に屈する。次に東胡の要求してきたものは、匈奴と東胡の間に位置する荒廃した土地であったという。今度は部下たちは、領有するに値しない土地として、こぞって東胡の要求に応えるように進言するが、冒頓は進言した部下を斬り、東胡を滅ぼしてしまう。冒頓にとっての国家の根幹は、土地にあったのであろう。

この話は中国の史家「司馬遷」よって書かれたものである。今まで私は史記にこんな話を載せているのを不思議に思っていたが、その後の中国の政策をみるにつけ、中国の国家形成の根幹を成すものになったであろう。日本は海に囲まれた国である。竹島を含めて、今、その国土の形成を真剣に考えるときではなかろうか。

人々は日本政府の弱腰外交を批判するが、それは今に始まったことではなかろう。日本にとって、農業も漁業も大切な産業である。そして、農業従事者、漁業従事者は日本の伝統文化の大切な担い手である。日本の国家形成にとって、国土は大切な…大切な根幹を成すものであろう。

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五穀豊穣を憂う

2010-10-31 16:35:26 | 仏教

秋の風物詩「秋祭り」も終わったところが多いことであろう。日本の貿易もTPPという新たな展開が始まりそうである。ここで、一つ疑問に思うのは、日本の原点である五穀豊穣がどこへ行くのかということである。今年も猛暑を乗り越えて豊かに黄金色を魅せてくれた稲穂の将来を憂うものである。

ドイツのビオトープとやらを真似て、日本各地にビオトープとやらが造られた。わが町にも4000万円もの資金をはたいてビオトープなるもの建設された。もともと日本には、ビオトープなるものは必要がなかったのである。日本には田んぼがあった。田んぼには多様な生物が生存していた。日本には田んぼという立派なビオトープがもともと存在していたのである。

願興寺には平安時代に一条天皇の皇女である「行智尼」という尼僧によって創められた「蟹薬師祭礼」が4月第一日曜に開催される。この祭礼は日月祭、或いは植木祭とも呼ばれるが、五穀豊穣を願って行われた祭りである。そうした日本が長年培ってきた風習は、何処へ行ってしまうのだろうか。

城山三郎の小説に「官僚たちの夏」がある。主人公の風越は、岐阜県が生んだ名官僚「佐橋滋」がモデルである。貿易自由化を迫る欧米列強に対し、自由化に待ったをかけ、その間に日本の工業界の再編成をして、現在の経済大国日本をつくり上げた。ああした人物は日本に出現しないのだろうか。

ただでさえ、耕作放棄地や休耕田が問題になっている。日本の政党はどこも相手を蹴落とすことにしか、能がないように思われる。日本の将来などに興味はなさそうに思われる。こうした政治を生み出した日本国民の責任は大きいように思われる。自分のことしか考えない議員や行政マンを生み出してきたのは、我々自身なのである。

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やっぱり日本人の魂は凄い

2010-10-25 05:05:12 | Weblog

昨日はわが町御嵩町の産業祭の最終日でした。高校生のブラスバンドも良かったし、高校生たちが修了後、一生懸命に後片付けを手伝ってくれたのもうれしかった。この町にも、徐々に日本の伝統的精神文化の花が開いてきているように感じさせていただいた。

また、昨日のNHK杯フィギュアの高橋大輔選手の演技は、圧巻でしたね。終了後のNHK番組の中で、キャスターの「4年後のソチの主役は自分だ?」という質問に対し、謙虚に×を出し、自分に続く選手の出現を願っていた。

また、15歳の日本人選手が女子で3位、男子で4位を占め、男子6位も日本人選手なんて、他の国ではありえないですね。みんながきらきら輝いているのが、とても新鮮でした。そんな中で、浅田選手のための…ともいえるルール変更ながら、8位に沈んでしまったのは、如何にも残念に感じられました。でも、彼女もきっと今シーズン中に盛り返してくれるでしょうから、それに期待しましょう。

日本で仏教文化が大成されたと評する人もいます。日本にはもともと敗者をも尊ぶという精神が根付いています。日本には八百万の神々が存在しています。徹底的に敗者を傷めつけるのではなく、怨霊鎮魂という形で神として崇める。多くの神々はそうして出来上がったのだと云われています。そういう日本古来の謙虚さを仏教は取り入れながら、発展してきたのではないかと思います。

我々のような周りに面倒をかけながら生きながらえている者は、謙虚にこうした未来ある人たちの出現を喜び、微力をつくしてこういう人たちを支えて行こうではありませんか…

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御嵩町の亜炭

2010-10-21 04:28:11 | 御嵩町

御嵩町の亜炭採掘鉱の陥没事故が大きく報道されている。今、御嵩町は自治体としての真価が問われていると言ってよいだろう。今まで、盛んに主張されてきた「国策として採掘されたものであり、住民や御嵩町はその被害者である」などと悠長な主張をしているときではない。聞くと前柳川町長の時に開かれていた亜炭鉱害に対する審議委員会も、ここ3年ほどは開催されていないという。

御嵩町の亜炭の炭層は、東海湖という湖であった時代に、御岳の噴火による火山灰とともにメタセコイヤが大量に流されて堆積してできたものだという。そのため、2層から3層を成しているといわれている。そして、噴火の流れから北東から南西に向って堆積したものだという。つまり、北側の炭層は比較的浅く、南に下るほど炭層が深くなる。

今回のそうであるし、このところ起きている陥没のほとんどが北側の廃坑跡の陥没とみられる。このあたりは比較的浅い炭層であり、廃坑は縦鉱ではなく斜坑といい、斜めに掘り進んでいる。つまり、炭層は平面状にあるのではなく、北東から南西に向って傾斜しているのである。

ところで、御嵩町の亜炭鉱の採掘にも特徴があった。御嵩町には筑豊炭田でボタ山、石狩炭田ではズリ山と呼ばれているような採掘残土の捨て場が存在しない。火山灰とともに流されてきたメタセコイヤが炭化してできた亜炭であるために、大量の凝灰岩(地元ではサバという)は廃坑の中に捨て場を設けて、現在も廃坑内に残されている。

もう一つの特徴は残柱というもので、これは一定量掘り進むごとに、柱上の亜炭を残さなければならなかった。ただ、これはその炭鉱で採掘し終えると、最後に相当量が削られて最後には随分と細いものになってしまったという。この2点が御嵩町の亜炭鉱の特徴であり、識者の意見では炭層の深さ20m程度で廃坑の高さが2m程度なら、陥没したとしても周りから崩れることと摩擦により、地表ではせいぜい数cmで納まるという。

では、今回の陥没の深さが最大3mなのが気になると思う。今回の陥没もここ数年で陥没している地域の廃坑も斜坑と呼ばれる廃坑で発生している。第一点として廃坑自体が浅いこと、そして傾斜がついた廃坑であるために残柱が北東側から南西側に圧力かかっていると考えられる。つまり、廃坑内の残柱が倒れやすく傾いているか、既に倒れてしまっている可能性がある。

今回の被害では屋外に深さ約3mの陥没が発生した。これが住居内であれば人的被害も想定されたわけである。識者には危険箇所は想定されているという。こうした危険箇所をどのような手順で陥没防止策を講じるかが、御嵩町行政に課せられている。是非とも、こんな被害が発生しながら何もできない自治体などと言われないようにしたいものである。


平湯で驚いたこと

2010-10-20 10:54:20 | Weblog

平湯の湯に浸かりながら、平湯とのかかわりを思い出していた。この地の郵便局長は中学での同級生である。彼の父親が高校の数学教師で、わが町の東濃高校に赴任されており、その縁で当時中学生だった彼と同級生になった。彼も父親譲りで理系科目が得意だったことを記憶している。

私が郵便局を訪れると、友人が奥の席に座っており、受付には年配の女性が座っておられた。奥の友人に挨拶していると、受付の女性が「あら~」と声を掛けてくださったので、ふり返るとその女性は友人のお母さんであった。80歳はゆうに越しておられると思われるが、その受付に座っておられるのが、何ともお似合いなのである。

毎年の年賀状を整理しながら私は毎年、劣等感に苛まれていた。その劣等感はこの女性からの年賀状の達筆さゆえであった。達筆だけならまだしも、その内容は時節のことからご自分の身の回りのこと等々、私には到底達することが不可能と思われた。この郵便局、友人のお父さんが教鞭を離れてから局長を勤められていたが、そのお父さんが亡くなられてから、友人が引き受けたと聞く。

私もしっかりしなけばとつくづく感じさせられた。写真は平湯バスターミナル併設の温泉からの笠ヶ岳である。

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