天台宗の宗祖「最澄上人」と時を同じくした「空海上人」。凡人が軽々に語ることのできるような人物ではないことを承知の上、あえて語らせていただきます。このお2人が日本に新しい仏教を作ったというより、日本の仏教を始めて開創したといってよかろう。お釈迦様のお言葉を一字一句読み解いて天台宗の開祖となられた最澄上人。森羅万象、広く宇宙的視野で真言宗の開祖となられた空海上人。同一の紙面を賑わすお2人だが、仏教に対する取り組みは根本的に違っていた。
現代科学を駆使しても解読できないようなものが、遠い昔に造られたという例が世界中に見られる。我々はそれを宇宙人が行ったと想像しなければ解釈不能なものさえある。現代科学を駆使して、やっと解析できる建造物等も数多く発見されている。これは我々凡人の領域で思考すると「人間業ではない」=「宇宙人の仕業」とならざるを得ない。
しかし、固定観念に囚われた我々凡人とは尺度の違う神業ともいうべき、宇宙規模でものを考えられる人物がいるものである。そうした人物の1人が「空海上人」ではなかったろうか。当時の遣唐使の留学生には2種類の制度があった。1つは「還学生(げんがくしょう)」といい、「即戦力養成コース」ともいえるもので、1年若しくは2年の短期留学である。もう1つは「留学生(るがくしょう)」と呼ばれるもので「本格学習養成コース」といえるもので、20年の留学期間が設定されていた。
空海上人はこの「留学生」として、唐に渡っている。ところが上人は、わずか2年間で帰国を果たしている。上人は留学する際には、まず唐で密教の技法を学び、その間にサンスクリット語を習得して、インドに渡り、密教の奥義を学ぼうとされていたのではないか。こう主張する人も多い。当時の唐には密教の技法に精通した「恵果」がいて、密教の技法は十分に習得できた。恵果は空海と対面するなり「あなたを待っていた」と言ったそうであるから、空海の実力を見抜いていた。
この恵果とのやりとりの中でも空海は恵果の持つ技法を解釈している内に、ある程度は密教の奥義を掴みえたといわれている。恵果に密教の技法を学びつつ、唐にいた2人のインド人僧侶からサンスクリット語を学んでいたという。そのインドの僧侶たちから宇宙的原理ともいうべき「梵我一如」というインド哲学の根本思想を教えられて、今までのモヤモヤとしたものが一気に晴れわたり、密教的宇宙世界の視野が大きく開いたという。そうしてこう思ったのではないか「もうインドへ行く必要はない。私は日本に帰り密教を広めなければ…」
空海上人の業績は、仏教界のみに留まらず数多の業績が確認されている。讃岐の国のため池工事などは、誰もが何年もかかる大工事だと思ったが、空海上人は1ヶ月という短期間で完成させている。またその地には、現在でも数多くの専門家や学者が現地視察しているほどの優れた工法であるという。古代の謎といわれるような遺跡の中にも、こうした地球上に存在した宇宙人たちが関わっている例も多いのではないだろうか。
ところで、添付の写真は、米国カルフォルニア州のヨセミテ公園内の滝が、2月のほんの数日だけ太陽光線の角度によって、このように溶けた金属でも流しているかように見えるそうである。こんな現象を地球上にいた宇宙人が目撃されたら、どんな言葉を残してくれたであろうか。
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