デジタルアンプのLuxman LXA-OT3のACアダプタをNintendo Wiiの 15Vのものに替えてみた。結果としては全体の音質は変わらずだが、音のザラつきは減った。鳴っている音のバックグラウンドが静かになったように聞こえる。これは無音時のノイズが減ったわけではなくて音が出ている時の楽器などの音の裏にある何か騒がしさのようなものが低くなったという意味。これでやってアナログアンプに近くなったように感じられる。まずまずだ。
ところで、Kencraftパワーアンプだが、もしかしたら治ったかもしれない。長時間聞いた時にいきなりバリバリ音がする現象が今のところ出ていない。
何を治したかというと、電源回路のダイオードブリッジの足の半田付け、4本のうちの1本が錆びてポロリと外れたのを発見して半田付けしなおした。バリバリ音が両方のスピーカーからだったので左右共通する部分だとは思っていて、可能性あるのは古いコンデンサだと予想していたが違った。(マルチテスター買ったのに・・・)
しばらくこのまま様子を見ようと考えている。
昨日の話の続きみたいになるが・・・
今日になって、中国で亡くなった子の為に集まった花束がたぶん警備員か誰かによって移動されている写真が流れてきていた。その写真を見たある有名な人が花を捨ててしまおうとしていると受け取ったのか、反日的行為だと吠えていた。実際は学校の中へ入れようとしていただけらしいが。
今日になって、中国で亡くなった子の為に集まった花束がたぶん警備員か誰かによって移動されている写真が流れてきていた。その写真を見たある有名な人が花を捨ててしまおうとしていると受け取ったのか、反日的行為だと吠えていた。実際は学校の中へ入れようとしていただけらしいが。
勘違いというのは誰にでもあるので移動なのか捨てるのかはわからない場合だって無いとはいえない。それは良い。でも、他の多くの人もそうだけれど、そういうことを言う人ってのはほとんど自分を被害者であると決めている。世の中には物理的に被害に遭ってしまっている人もいて、それは確かに理不尽で不幸だと思う。
でも、その有名人のような状況にある人たちは特に自分の前に何も悪いものは転がっていない。つまり単に精神的な被害者に過ぎない。しかも相手は何もしていなくて自分から被害者になっている。世の中の不幸な人の半分位はこうした人じゃないかと思う。
まあ、不幸が好きなら仕方ないが、相手はその反動を喰らうので仕方ないとも言えないのだが。なぜそんなに不幸が好きなのだろう?まあ、自分に責任が何も無くて相手が悪いとする方が楽に違いない。
そういう人は問題があると思った時にその問題が必ず自分の外側にあると認識する。自分がそこにどう噛んでいたか、または無視するような行動をとってしまったかのようなことは全く考慮しない。自省的な思考が無い。なので問題は次から次へとやってくるし解決はしない、どころか自分にはどうにもならない。つまり、そういう立場でいる以上不幸なままになる。シンプルにそれは当たり前だ。自分が被害者ってことは不幸ってことだし、何もできない外部のことなわけだから不幸はいつまで経っても不幸だ。できることはたった1つ。犬のように吠え続けるだけ。
残念だけど。