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もんく [とある南端港街の住人になった人]

「気が回る」に尽きるのか?

以前にも似たような事を書いているけれど、再度。

日本語で「気が回る」と言う言い方をする。
細かいところまでよく気が付く、注意が行き届くと言う意味。

誰もそれが完全に出来るわけではなくて、できる範囲が限られている。
ある事が起きたら、それに関連するあれはどうなんだろうと気付く。
もしかしてこっちはどうなのか?と思う。
もっとすごい人はさらにその先の事まで思える。

ただ、その個々の思い付きや気付きは実はあまり大した事でないかもしれない。
分解して見てみると、そんな事ならこのバカな自分にも思いつけると思う。
また後になってみるとなぜ自分はこんな簡単な事にあの時気付かなかったのかと。

自らの事で振り返ってみるとそう言う事はよくある。
その時点できっとまだ気付いていない何かがあるのでは、と思っていても
後になるとまんまと忘れている事が出てくる。
山ほど。

何て自分はバカなのか...となる。



と、まあそう言う事なのだけれど、
他人に関しては実はもっと気付きやすいかもしれない。


最近の出来事では、ある簡単なテストのデータを見たとき、
間違ったデータが書かれているとすぐにわかった。
元データを書いた人間は学歴的には間違っても仕方ないレベル。
(小学生にエクセル打ち込ませたと思ってもらえば良いような。)
それを使ってデータを提出したのはそんな言い訳ができないレベル。

そうか、この程度の間違いに気付けないのか...と。
ちょっと気が回ればそんな事にはならないのに。




ある機器に不具合が発生していた事がメッセンジャーで来た。

来たのは不具合部分の写真とメーカーラベルのみ。
はて、それは何のために送ってきた情報なのか?
具体的にそれが発生した状況は以前と同じなのか?
それとも全く同じ機器なのか?
メンテナンスの履歴はどうなっていたのか?

ちょっと考えれば調べておくべき事はいくらでもある。
そして次にどうするのか?、と言うのもある。

その程度の事が1つも考えられないのか....と。




こう言うのもある程度訓練でどうにかなる部分がある。
だから高専卒レベル(日本のそれと同じではない)には
報告書の書式に従ってそれを埋める方式で順に考えるのを訓練させている。
そうするとある程度はクセが付いて
後からどうだったっけ、と言うのが少なくなる。

まだそのレベルなら自分が知っている事が少ないと自分自身で思っているから
訓練もすればし甲斐があるけれども、
ある程度経験を積んでしまった人はなかなかそれができなくなる。
(かもしれない。)


とりあえず、人間「気が回る」に限る。
専門的な優れたスキルや能力も必要な時はあるのだけれど、
もっとベーシックな所で「気が回る」は役に立つ。
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