もんく [とある南端港街の住人になった人]

金銭感覚と言うものは

自分には金銭感覚と言うものがよくわかってないらしいと気付く。

愛妻さんによると銀行の定期預金の金利とか手数料とかそう言ったものがお金を動かすときの意思決定に大きな要素となるそうだ。電車でちょっと出かけるにも券売機に向う前にチケットショップに行くのが正しいし、マクドナルドで100円バーガーを買う前にもチケットショップでマックカードを買って行くと20円もお徳だそうだ。それに買い物の時の予め買っておいた金券や細かいお金の出し方とか、そんなことにもルールがあるらしい。

そう言う事に気を使えるなんて全く頭が下がる思いなのである。それは学校で教わる事があったのだろうか。だとしたらきっとその時間自分は居眠りしていたに違いないと思う。


なぜ愛妻さんがこんな細かいことに気を使っているのかと言うと、今は貯蓄があっても収入が全然無いからだ。収入がけっこうあった時にもそれほどお金を使う生活ではなかったけれど、時々はちょっと贅沢な食事程度をしたことはあった。でも今、生活に全く困ることもないのだけれど倹約を心掛けているのだそうだ。今あるからと言って使ってしまうようなこともなく、なかなか倹約家でたいしたものだと思う。

そして愛妻さんは時々アルバイトをしてくる。家にいるばかりでは世間知らずになってしまって、石原都知事に言われてしまうからだとか、家計のためだなどと言っているが、それは多分本当ではないだろう。ここでレポートを書いている夫のために部屋を静かに保ってくれているに違いない。


それに比べて自分と来たら香港から中国のシンセンに入るのに全くお金を持って行かずに、ご飯を食べよとしてそれに気付く始末。あの時はキャッシュカードがあったから助かった。それに家から出るときに財布にいくら入っているかなど考えたこともなかった。大きい買い物(4~50万円)をする時にはあまり考えないで買えるのに小さい買い物(チョコレート)では悩んだりするのも自分では変だと思う。自分の金銭感覚は自分でも何だかよくわからない。

そう言うのを愛妻さんに指摘されるのだが、どうして良いかよくわからない。最近やっとチケットショップで電車の切符を買えるようになったのだけれど、根本解決とはいかないような気がする。

思えば父はサラリーマンで生活は裕福とは言えなかったけれども、お金に苦労はした事がない。父は外で働いているものとは知っていたけれどもそれが生活のためのお金とそれがどう関わっているかなぞ考えたことはなかったように思う。今になって振り返ればそれがいけないのかもしれない。

対して愛妻さんの家は自営業であったから、両親がお客さんから細かいお金を少しづついただいているのをちゃんと見ていたのだろうと思う。自分も手伝っていたと言うから間違いはないのだろう。


お金の面では愛妻さんにおんぶにだっこ状態なのである。
たいしたものだと思う。改めて頭が下がります。

コメント一覧

南千住観音
奥さん
いいなぁ。
そんなしっかりものの奥さん欲しいよ~
って、あたしは女だったぁ。
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