よくFacebookで最近の建築物の施工例が流れてくる。イベントのパビリオンや大型の施設もあるが、個人宅も多い。ふーん、と写真と添付された平面図を眺めて、最後に建築家の言葉を読む。まあ、アピールしたいところはそうだろう、ちゃんとできている。当たり前だ。その言葉通りに作っているはずだから。
でも、絶対に言ってない事があるもがわかる。それは仕方ないさ、言ったらおかしな事になる。作った家の真っ白で大きな壁が隣家の窓を覆うようにそこにある。逆側には通路のような隙間が設定されていて路地の様相だが、その事は言う。でも窓を覆う壁については言わない。
都市や環境との取り合いについても必ず言われている。大きくない窓から都市の欠片のような一部分が見えたり、人通りや移ろいを自然と定義して中から楽しむというようなのも普通に言っている。けれど、ほとんどの場合その家は閉じたコンクリートのブロックのような外観で、中から外を一方的に楽しむようになっている。それはそうだ、日本の気温や湿度や季節毎の変化は厳しいし、都市の風景など全部積極的に見たいほどに美しくも興味深くもないのだから。
作る側はそんな事、他人に言われなくても絶対にわかっている。なのに言わない。記事で取り上げる方も、そしてそれを読む誰もが何も言わない。何が建築で誰が建築家なのだろう?