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もんく [とある南端港街の住人になった人]

外国で暮らすって事に悩んだり考えたりするのは時間の無駄

Facebookのお友達からの話題。
言葉の通じない外国でやっていくのはどんなものか、みたいな事。

外国に出るとき、誰もが一番最初に思うこと、
それは言葉の問題。
それから治安とか、食べ物とか。


たまにマレーシアはどうかと聞かれる時も、
あまり違った質問をされる事はないです。
みんな同じと言って良い位同じ。

同じ質問だったらネットで調べれば
どこにも同じ回答が書かれているだろうし、
よくあるFAQみたいな感じで済むはずなんだけれども、
なぜか近い人にそれを聞く。


自分から見れば、質問する事自体が無意味だ。

なぜなら、未だやっていない、
つまり海外に出ていない時に考える疑問と言うのは
出ていない時点でだけのものだから。

現地に到着して生活するようになると
実際はもっと全然別の問題がたくさんある事に気付く。
たくさんの問題と言っても、
大きな問題ばかりじゃなくて、ほんの些細な問題もある。

ほんの些細な問題でも、
本人にとっては避けて通れない事だし、
単に知らないと言うだけでけっこうな困難だったりする。

例えば、歯ブラシを買いたいと思ってスーパーマーケットに行くとする。
えっ!歯ブラシのヘッド、毛の生えてるところ、
そこが日本のより2倍くらいデッカい。
まいったな、どうしよう?
結局ウルトラマンの枝のついた子供用を買う事になったりする。

食堂でご飯を食べる事にする。
値段書いてないし、どうも自分で皿に盛るらしい。
お金払おうとしたら、食べてから良いような感じに言われる。
大丈夫かな、高く言われないかな?
ビクビク。

タクシーに乗ったけど、
本当に目的地に向かって走ってる?

そんなような、想像できない困難が毎日毎日、
どんどんどんどんと出てくる。

予想できない問題が次から次へと出てきて、まるでゲームのようなもの。
1つ1つクリアして次に進む。
ゲームと違うのは、同種のように見える問題でも
正しい回答が毎回違うこと。


でも、よく考えれば、
人生そのものが予測不能な事ばかりで構成されている。
だから、海外に出て住むと言うだけでも
事前に予測できる事なんてほんの少ししかないのは当然。

そう考えれば事前にどうしようどうしようなんて
悩んだり考えたりする事は無意味で時間の無駄なのだ。
できる事と言えば、
一番単純なあのインベーダーゲームのように
出てきた的を端から順に打ち落す方式しか
やり方と言うのはないんじゃないだろうか?
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