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もんく [とある南端港街の住人になった人]

強制収容所の囚人の心理状況はどう読んでも我々日本人のそれと同じだ

「夜と霧」2周目(再読という意味)の途中。



まったく、これをどう読んでも我々日本人の置かれている状況にそっくりだと思う。

この本は第二次大戦中の強制収容所の中での体験とそこにいる普通の囚人の心理状況を書いているのだけれど、どう読んでも我々日本人のそれを読んでいるような気がしてならない。強制収容所を日本、囚人を我々日本人に置き換えても成立するように感じる。

自分は著者フランクルに関しても予備知識ゼロ、ましてNHKで放送した内容も予告編で見るのをやめた。そこで同じように感じる人がいるかどうか検索してみたのだけれど出てこない。ほとんどの人がフランクルに(生き方の?)「答を求める」という視点で読んでいるらしい。

そういう読み方もあるのかぁ〜と今更ながらに驚いている。でもそれなら聖書とか歎異抄とか読んでおけば早いんじゃないの?と思ったりしてしまう。

ある程度以上評価が定まっているある考え方があり、しかも著者はセラピーを目指していた心理学者。つまりその結論側からこの本に逆流する読み方に、予備知識があればあるほどなりやすいのかもしれない。すると、あの強制収容所の中で観察された事象に最初からフィルターをかけて読んでしまうようにも考えられる。

そのフィルターを外さなければ文章を純粋に読むことはできないと思うし、「答」からも遠ざかってしまい方法論のみに集約されてしまうのではないだろうか?


ともかく、そういう雑念からフリーになって読んだとき、自分が感じたそれと違う何らかの印象というものが出てくるものなのだろうか?それがもしあるなら知りたい。
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