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もんく [とある南端港街の住人になった人]

メタ情報ばかりに価値がある世界で

今日は初めて会う人に会った。Twitterでのみ知っていた人に。あちらから声をかけていただいて会う事になっていたのだった。Twitterでの印象は他人と群れる事なく自律している感じだったので好印象ではあった。たまにそう言う事もある。嬉しいよね。

2週間ぶりにまた村のパン屋にパンを引き取りに行った。子猫が3匹いた。(写真)母猫は小柄で、もしかしたら初産だったのかと想像。母猫はどこかで産んで子猫を連れてパン屋にやってきたそうだ。安全の為、子猫はケージに入れられてしばらく過ごすだろう。母猫はケージを出入りして暮らす。健康に育つと良いが、実際のところはそう上手くはいかないともわかっている。どんどん死ぬ。だからどんどん産まれる。人の周りで生きるとは言えそう言うところには野生のシステムが働く。人間とは違う。

 

インターネットが出来てしばらくして、検索と言うのが注目を浴びて今に至るまで検索はインターネットの中心に居続けている。人間は検索によってしかコンテンツを探せないからだ。今回の選挙の情報を得るにも検索は必要だし、コロナから身を守るにも必要で、仕事や学習に必要な知識も、仕事を得るにも、美味しいものを食べるにも、全ての事に検索が必要だ。当たり前と言えば当たり前だけれど、よく考えればすごい事だ。

辞書ならabc順やあいうえお順なのでインデックスが無くても前から調べていけばいつかは調べたい言葉に当たるが、インターネット上のコンテンツはそうはいかない。だから検索が必要だ。でも、検索されるのは実は、コンテンツの本体じゃない。何かと言うとコンテンツに付いているメタ情報だ。コンテンツには耳が付いていて、そこにキーワードが書かれている。それが探されるターゲットになっている。コンテンツが文字情報ならコンテンツの中身も検索される事はされるが、全てそうなっているわけじゃない。

さらによく見てみると、メタ情報は検索される為だけにあるのではないようだ。なぜなら、メタ情報によって本体の価値が大きく変わるのだ。

昔むかし、自分が中学生の頃、これは前にも一度書いた事があるが、同級生がレコードを買って音楽と言うのを聞くようになった時、当時に自分にとってはとても興味深い事を言った。どんな音楽を聞くかと言う話題で、その同級生は歌手で選んでしまうと言った。一度ある曲が良いと思ったらその歌手が歌っていると言うだけで別に出た新しい曲も良いと聞いてもいないのに良いと認定して聞くと言う。

今はそれも誰もがやっているし、自分も当たり前のようにする事だけれど、当時の何も知らない自分にはとても驚きでとても新鮮な行為だった。

そう、人間はメタ情報に価値を見出す。中身がダメでもメタ情報が良いならダメ認定にはならない。歌手と言う、一度良いと認定されたメタ情報が付いていれば中身はあまり関係ない。もちろん歌手にはそれなりのスキルも実力もあるのだからメタ情報だけが突出して良くて中身がメチャメチャと言うのは少ないだろうが、メタ情報の方が常に勝つ。

自分たちはそう言う社会に生きていると感じる。特にインターネットを使う時代には顕著だ。

この件、続きも書きたい気はするが、ここで止める。

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