本当に久しぶりにKLCCへ行ってみた。人が少なくてビックリ。マレーシアの人がホントに少ないので欧米人観光客が目立つ。こんな光景は初めて。
中華正月と関係あるのか無いのか、それはわからないけれども、一つにはテロを警戒してここには出てこないのかもしれない。ビンタンのスンガイワンプラザはいつも通り混雑していたから。
ところで、KLCCの紀伊国屋の窓から外を見るとまるで屏風のようにビルが視界を遮っているのが見えた。6年半前にここに初めて立ったときには、もっとずっと向こうまで古い小さなビルの上半分が見えていた。たった6年半でもうそこにはあの時見えていた物のほんの一部すら確認できなくてちょっとした浦島太郎の気分にさせられる。
日本もかつてはそう言う事があったのかもしれないけれど、その時代を身近に見ていたわけではないのでこう言う体験は自分にとって初めてと言っても良いと思う。ニュースでは上海とかドバイとか実際にKL以上に風景を変化させている土地がいくつもあると言うのだから世の中変わるわけだ。
今の日本はちょっと前の汐留とか川崎西口みたいに大地主が広い土地を手放した時位しかこう言うのは無いだろう。マレーシアは実際、KLの中心部ばかりじゃなくてとんでもない山の中に住宅地とか街っぽいものが突然作られたりしていて、お前らホントにそんな事で大丈夫なのか?、作っただけホントに使い道あるのかよ!、と大声で言ってみたくなる。(が、実際には言っても意味ないので言わない。)
何となく、お金集めるのが実際の目的であって、作ってから使おうが放置しようがどっちでも良いのかもしれない。"経済"ってある意味そんな事するって事なんじゃないだろうか。お金を作り出すにはどんな事でもあるきっかけが必要で、そのきっかけが実際以上に良さそうに見えればお金が集まってくる。集められたお金も新鮮味のある何かを見せてもらえなくなると飽きてしまってゾロゾロどこかへ歩いて出て行ってしまうかも知れない。
お金に無頓着に育ってしまって、いくら今買っとくと儲かるよと言われても、値上がりとか値下がりなんて毎日気にして生きていかなければならないと思うと面倒としか思えない自分には、どうもそんな風にしか感じられない。
そうした意味ではKLもまだ古いのをちょっとづつ壊して新しいのを建てていけるわけだからお金はまだこの街に滞在していてくれるのかもしれないけど、それができなくてなったら、どうなっちゃうんだろう? 寂れた観光地みたいに寒風が(熱帯なのに)吹き荒ぶんだろうか。と、そっちにも興味あるなあ。あと数年はここにいるかと思うけれど、そっちの方も見られるかもしれない。
急に上がるんだから急に下がるってのもアリだろう。