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もんく [とある南端港街の住人になった人]

人の教育の時間も有限なのだ

いつもここに出てくる現場の管理人I(アルファベットのi)、
20代で仕事経験なんてまるで無し。
仕事のセンスがあるのだか無いのだか?

これをどうにか教育して一端の仕事人にするのが今の自分の仕事。


昨日は試験をやらせてみた。
試験と言うのは手順をちゃんと守らないとデータにならないが、
ちゃんとやってくれました、スキップ(手抜き)。

夕方になっていたけれど全部やり直しさせる。
決まりきった手順でやらないと前のデータとの整合性がわかららない。

そして今朝、事務所に呼んでちょっと説教。
ジジ臭いので説教なんてしたくもないが仕方ない。
なぜバカみたいに手順を守らないといけないかを説明する。
そりゃお前がホントにバカだから、ってわけじゃない。
これは信頼性の問題なのだ。

手抜きしても見分けがつかないような結果も出る。
生産であれば見分けがつかない製品ができるかもしれない。
が、ムラがあってはダメだ。
時々良くて、時々素晴らしく良くても、
たまにダメだと全部ダメなのだ。
それが信頼ってもの。

だからバカのようにいちいち同じようにやる。
マレーシア人はどうしても要領よく、つまり手抜きして
結果だけ得ようとする傾向が強い。
出口が同じだったら途中なんて...と言うような。


現場の管理と言うのは結果を管理するものじゃない。
途中の過程を管理するものなのだ。
逆に言うと結果は管理なんてできない。
結果は過程の正しさに任せるしかない。
過程が同じだったら結果は良いとは言えないが安定しているはず。
それが生産と言うものなのだ。


こう言う概念をマレーシアではたぶん学べないのだろう。
このI以外もみんなダメで、大学出レベルでもダメだ。
しかしまあ、大学出のエンジニアと称する人間に
オームの法則教えなければならないよりはだいぶマシと言える。


それにしても、こうして教育できる時間も有限なのだ。
どこまでできるんだろう?
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