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もんく [とある南端港街の住人になった人]

部下と上司、それぞれとして

仕事をすると、立場と言うようなものが、多くの場合、自動的に発生してくる。

最初のうちは下っ端から始まり、そのうち先輩って感じになって、ある時部下なんかができる。それぞれの立場っのがそれとともにできるわけで、自分は同じ人間のはずなのに何か違ってくる。マレーシアなんかにいると、どうしたわけか日本人ってだけで簡単に上司的なものになっていたりする。上司じゃなくても何らかの指導みたいな事はしないといけない事がほとんどだと思う。

もちろん、歳が勝手に重なってと言うのもあるが、自分にも適当に部下っぽいのがいる。外国人労働者もそうだし、マレーシア人のスタッフとかも含めている。転職が他人より多め自分には、実はそう言う経験と言うのは浅い。同世代の人は日本にいて、まあ、この程度に歳であれば、よほど失敗しなければきっと何人もの部下はいるんだろう。

でも、日本でだと、そうなるまでにその会社とかその部署についての経験はできているだろうし、部下になっている人たちだって年月が浅いだけで似たような種類の人間に育っていると思う。なので、マネジメントとか言っても、前やってた人のやり方を参考にして引き継げば良いのかな、と思う。

マレーシアなんかだと、だいたい前例ってのが無いし、あっても自分は全然知らないのでけっこう(心の中で)あがいたり、もがいたりしないといけない、かも。前例どころか、そいつらが何考えて生きてるとか、どんな思考や行動パターンを持っているか、スキルとかの面でも全然わからないのでなおさらだ。こいつらとの共通言語って何なんだ?、ってところから始まる。

上司としては、まあ、人間だし、よほど変でなければ、と言うのは普通に生きている人間であると確認できれば、こっちが考える常識的なところはクリアするだろうと考える。だから、手取り足取りでもないし、細かい事を一つ一つ命令なんかしなくてもだいたい良い。もっともそんな事しなければならないなら部下なんか持つ意味は無くて、全部自分でやるべきなのだ。

なので、最終的に知りたいのは、彼らが何かに対して「どんな決定を下したか」に尽きる。その決定が最終的に間違いであってもそれは可だ。何もしないより全然良いし、間違いはほとんどの場合、後で修正できる。特に本人にそれがわかれば。

だから、報告は物理的に何があったかと言う事はそう重要じゃなくて、その人間がどう決定を下したかを求める事にしている。


が、部下的には間違ったら怒られるんじゃないか、間違ったら自分のせいになるんじゃないかと言う心理が働いて、なかなか決定しない事が多い。いきおい、こんな不具合があったよ、こんな事件が起きたよ、誰かが何々してたよ的なものばかりになりがちだ。

もちろんその心理、わからないではない。アジア的には部下は上司の命令に従うべし、が正しい事と思われているし、賃金が低い人間ほど時間を金に換えてるんだよ意識が高いのだ。その上、経済発展が比較的最近の事で、若い人間の方が学歴が高くていきなりある程度の地位を得るようになっているから、どうしても修羅場をくぐり抜けるような経験をしてきている人間が少ないと言うより、ほとんどいない。自分で決定しないとどうにもならない場面に出くわしてはいないのだ。

学歴さへあれば、経験が無くても給料はそれなりだし、地位もなのだ。その上、自分の働いている華々しさのカケラもない郊外の工場に応募してくる程度の人間なわけで、薄っぺらいのは相方ないのかもしれない。それに対して、物理的な事は教えるのは簡単なのだけれど、その周辺の事と言うのはなかなか教えるのは難しい。

と、まあ、マレーシアなんかにくる日本人はきっとみんなそんな事に思い悩むのだろうなあ。
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