先日、福井県池田町の「池田暮らしの七か条」というのが話題になっていた。
自分もその移住というようなのに似た経験が多いが、そんな事で苦労をした覚えが無い。自分の場合、どこで住むにしても、それが長くなるにしても一時的なものだと考えているからかもしれないが。ただ、今回はこれまでとは違って10年はいる事に決めているが。
いつも書くが、皆さん「移住」という言葉を使うが、それはいったい何なのだろう? 死ぬまでそこにいると決めている人などそれほどいるとも思えないし、嫌になったらどうせまた引っ越すわけだし、そんなに大袈裟な言葉は使わなくて良さそうなものだが? 逆に移住という言葉のニュアンスが単に軽いだけなのか? そうだよなあ、ビザが切れると出ていかなければならないのがわかっていてもマレーシアに移住と言う人がいるのだから。まあ良いけれど。
元に戻るが、池田町のこの件、いろいろ思う事がある。
そもそも日本が少子化で人口が急激に減っていて、日本政府はそれにずっと無策できていて、黙って見ている。そうなれば魅力の無い場所からどんどん人が減っていくのは分かりきっているのだが、多くの地方自治体は移住してくれとやっている。つまり、逆椅子取りゲームだ。まあ、無理だろう。よほど魅力的な条件を提示しないと共倒れでやるだけ無駄だろう。
ある小さな町で急に人口が増えたというのがあったが、簡単なことでそこに工場か何かを持った事業所が移って来た事だった。普通に考えればそういうのが一番簡単なような気がするが。仕事がれば一定期間は逃げないわけだし、多数がいっぺんに入れば新住人に旧も合わせなければならない。なぜなら税金入れてもらえるわけだし。下手な事するより何かそっちの方を考えないのだろうか? 考えられないから今のようになっているとも言えるけれど。(他人事)
エストニアという国があって、あそこなど国の名前を言われてもあまりイメージできないところだけれど、それでも仮装的な国民のような人が世界中にいる。つまりは地面に拘束されていない半国民のようなもの。日本の場合、海外に出て住民票が無くなると冷たくあしらわれる。国民の権利が半分剥奪されるような感じになる。どうしても地面に足がついていないと正真正銘国民とは言えない!というようなもの。もうそういう考えは止めたらどうなんだろう? 税金さえ払っていれば住んでいなくても住民ということにして逆リモート住民でメリットを与えてやるのも手じゃないかと思う。水道も下水も使わないし道路も使わないから割安な税金と保険料か何か支払って終わり。ふるさと納税に住民票がプラスされた感じでダメなのか? 世界中どこにいてもちょっとだけ手数料払う事で事務的な事を全てやってもらえてその場に行く必要無し。Googleみたいな自治体があっても良さそうなもの。そういう軽さは良いと思うが。