もんく [とある南端港街の住人になった人]

バナナに利用される人間

カルフールで売っている台湾は天仁(てんれん)のウーロン茶とキャサリンさんが日本から持ってきた米屋の栗蒸羊羹を食べるとここがマレーシアでないかのように感じる。

その前にお昼には近所のマレー食堂で「美味しいなあ」と言ったばかりで、栗蒸羊羹の後の夕食にはインド食堂でコテコテのカレーを食べて胃の中はインターナショナルだ。どれもそれぞれに美味しい。日本の物を食べるって事はほとんど無いが、1年間こうしていろいろ食べてきて、......まだ生きている。人間て言うのは同じ人間が食べるものならだいたい何を食べても生きていかれるものだ。


そう言えば、キャサリンさんが居なかった2週間は自分で好きなところで食べていたわけだけれども、そうすると満遍なく食べているようでもやはり偏るらしく多少身体に力が入らないとか疲れやすいようになってきていた。

キャサリンさんは毎朝キャベツのサラダに酢をかけて出すクセがあって、どうも女は酸っぱいものに強いらしいなあと思って食べている。それが良いのかどうかわからないが、とりあえず、他人が選んだものを食べる方が自分でこれだといつも選らんでいるよりは食べるものの範囲が広がって良いのじゃないかな、と思う。

食べ物以外もそうだろう。よく考えているようでも自分一人の範囲など実際それほどでも無い。好きでなくても無駄に感じても他人からいろいろ受け取る方が利益があるように思う。




毎日、ある人が今日の生産状況の報告を送ってくれる。生産の状況と言うのは何個作ってそのうちの何個不良を出してしまったかと言うようなものだ。それを見るだけで価値があるなあ、と思って見ている。

なぜかと言うと、普通、そうした毎日の状況はエクセルに数字を転写してずらずらと並べているだけなのだけれども、その人が作る報告書はそんな無味乾燥でうんざりするような物じゃない。今日はどんな試みをしたかがその数字に重ねて色分けされていて、グラフにもそれが時系列でコメントされている。だからこの人が毎日何をしてその結果がどうだったのか一目でわかる。

つまり、その人は毎日何か工夫しているって事でもある。その結果がどうあれ、こう言う報告は毎日見ても楽しいし読むのに時間もかからない。何て素晴らしいセンスなのかと感心。残念なことにその人のメールに書かれている名前と顔が一致していないので、後で見に行ってみようかと思っている。多分インド系かマレー系の女性じゃないかな。




熱帯地方なのでバナナの木がよくある。

工場の小さな緑地にも人間の身長ほどしかないバナナの木あって、時々バナナが生(な)っている。誰かがまだ熟れていないうちにとっていってしまうので木から直接捥いで食べられないのが残念だ。

バナナと言うのは不思議な植物で、あんなに大きくて栄養のありそうな実をたくさんつけるのに、その中に"種"は作らない。たまに種が入っているのがあるけれども例外中の例外で99.99%以上の確率で種は作らない。しかし、こんなにあるバナナの木はそれではどうしてこの世の中に繁殖し続けられているのかと言うと、人間が植えているからだ。


と、言うことは、バナナは人間を媒体として子孫繁栄をしているわけで、あの黄色いバナナの実をエサにして人間を利用しているってことになる。地球の支配者のように自分では思っている人間だけれども、実は人間はバナナに利用されているのだ。サルでもゾウでも他の動物もバナナは好物だけれど、決してバナナを植えてはくれない。そう考えるとバナナは人間だけを選択的に利用しているとしか考えられないわけだ。

バナナ、恐るべし。





今日、ニコンで撮っているときに電池が切れて再起動させたらまた「レンズエラー」表示が出た。例によって息を吹きかけてポンポンとたたくと正常にもどった。やはり早めに次のカメラを買う必要があるのかと思った。日本では相当にカメラの値段が下がっているがマレーシアではまだまだ高い。

困ったなあ。誰かマレーシアに来る日本人はいないかなあ。
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