「長崎市長への七千三〇〇通の手紙」を読み終えた。
結論: みんな、これ読んでおくべきだよ。フランクルの「夜と霧」より日本人はこっちだな。
主なa.内容としては天皇に戦争責任が有るか無いか、それに加えてb.言論の自由ということに関して多数(掲載は300通)の人の手紙がほぼそのまま掲載されているもの。だからストーリー無し、個々への解説や評価無し。
で、ここで天皇の責任について自分の意見を・・・書かないよ。読んで自分でどう思うか確認した方が絶対良いから。
1)どの手紙も天皇の戦争責任の有無を書いているわけだけれど、全く日本的だと思うのは「有無」のところで完全に停止してしまっているところ。例の南京大虐殺、従軍慰安婦が「有無」のところで話が停止しているのと同じ構造で、その先に行かない。こうしたことに関して何が間違った考え方だったのかに全く話が進んでいない。だから戦争がいけないことの根拠がその悲惨さでしか言えない。このことは我々日本的大欠点だと考える。
2)結局、上記の結果として日本はあれから37年経過しているにも関わらず同じ「有無」論だけを繰り返していて「無」側の人たちがあの戦争を肯定的に考えて声をあげるに至っていたり、反論に対して議論せずに抑圧という態度をとる習慣を維持してしまっている。全く進歩が何もないどころか、退行してすらいるように感じられる。
3)出版の趣旨とは無関係だけれど、バブル期 に多くの人々がどれだけ社会からの圧迫感を感じていたかがわかる。以前のことを知らない若い世代の人たちが最近バブル時代を経済的に恵まれた浮かれた時代と言い、揶揄すらするようだがその感覚の間違いが手紙から透けて見える。あの時代、普通に生活していればバブルなど何の恩恵も無かったし明るい未来を見てさえもいなかった。アベノミクスで株価ばかり上げて人にお金が回らなかったのと似た状態なのに・・・って、言っても仕方ないが。
この本、ラッキーバナナクラブに収蔵する。