
なんじゃっ! もんじゃ:路地裏もんじゃ
「もんじゃ焼き」を初めて食べたときの体験を綴ったものが、下記の◆◆◆◆◆以下だ。
それが先日二度目の挑戦をした。場所は深川・富岡八幡宮の傍の、とある路地裏の小さな店。まさに「路地裏もんじゃ」。
「どうやってやるのか?」と聞いたら、全部やってくれた。トウシロには、任せられないといったところか。
焼き上がった「もんじゃ」をジッと眺めていたら、食べ方まで教えてくれた。親切だ! なるほどコテ(ヘラ?)を使って、オコゲを作りながら食べる。ナルホド、成る程! まさに人類…イヤ関東人の智恵か。ウマカッタ!
次は、全部自分でヤルゾ!と固い決意?をした次第
◆◆◆◆◆もんじゃ初体験記◆◆◆◆◆
押上から浅草方面へ「浅草通り」を歩き始めると、すぐ「業平橋」がある。大昔、多くの女性(にょしょう)の胸を高鳴らせ、泣かせたスケコマシ…品良く云えば、女たらしの在原業平。この橋は、この色男の名前を冠したものだ。
折角の色男の名前を付けた「橋の表示」も、今や、ややくたびれ気味。ここは「大横川親水公園」の出発点でもある。 色男といえば、かつては長谷川一夫、上原 謙、池部 良と相場が決まっていた。
長谷川一夫
在原業平(ありはらの なりひら 825~88年)は、更に大昔。平安初期の歌人、六歌仙の一人。和歌は「古今集」などに見られる。「伊勢物語」の主人公とされている。馬頭に任せられ、馬政の発展につくしたそうだ。
浅草通りが「吾妻橋」に近づくと、かの有名な「ウ○コ・ビル」の威容が見えてくる。アサヒビールのビルである。
この「ウ○コ・ビル」をながめつつ、下町名物の“もんじゃ焼き”を、生まれて初めて口にした。非常に水気が多い。ざまは極めて悪い。
初体験記 終わり
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
しかし、これが もんじゃ地獄 にのめり込む切欠(きっかけ)になるとは、当時は全然思わなかったのだった。
つづきはいずれまた………
06.10.06
この投稿は、老朽化防止のため、破損部分を修復して再掲しています。ご了解ください。2011-11-04