
真間の手児奈(ままのてこな)
市川は万葉時代からの古い街である。万葉時代或いはそれ以前からの遺跡や史跡が多数残っている。
なかでも真間の手児奈(堂)は有名だ。
真間の手児奈とは……大昔、真間に手児奈という飛び抜けて美しい娘がいた。大勢の男たちが手児奈に求婚した。そのあまりの数の多さに、手児奈は身の置き所がなくなり、真間の入り江に身を投げて入水自殺をしてしまった。人びとはこれを悲しんで、手児奈堂をたてて彼女の霊を慰めた。(詳しくは「真間の手児奈」の話をどうぞ。)
1300年前の市川真間 地図
「手児奈」の入水伝説は、「万葉集」や奈良時代初期の歌人「高橋虫麻呂」「山部赤人」が手児奈を偲び数々の歌を残している。
山部赤人の歌を刻んだ碑
写真奥の説明文には…
吾(われ)も見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児名が 奥津城処(おくつきどころ)
(わたしも見た 人にも話そう 葛飾の 真間の手児名の 墓所を。)
その手児奈を祀ったのが、市川・真間の「真間 稲荷神社」境内にある手児奈堂である。
悲しい話だが、美しい話でもある。
さて、我が家のババ(婆)の手児奈は、そろそろ夕飯の支度をしているかな?
06.03.30