道灌と一口(いもあらい)坂
(絵㊤:太田道灌)
東京には、「いもあらい坂」という地名が三カ所ある。
六本木の「芋洗坂」と靖国神社の裏側の「一口坂(いもあらい坂)」、そして今回取り上げる「淡路坂」だ。
六本木・芋洗坂 六本木交差点(アマンド側)出入口 ↓
六本木・芋洗坂 外苑西通り(六本木ヒルズ側)出入口 ↓
「淡路坂」はJR御茶ノ水駅の聖橋口を出てすぐのところである。この坂は今は「淡路坂」と呼ばれているが、かつては「大坂」とか「一口坂」とも呼ばれていた。
なぜ「淡路坂」なのかは、この付近に鈴木淡路守屋敷があったことにちなむそうだ。
「大坂」は文字通り大きな坂だからだ。
問題は「一口坂」である。それは、この坂の上に昔「太田稲荷神社」があり、それが「一口稲荷 (いもあらいいなり)と呼ばれていたことに因る。
江戸を開いた太田道灌の最愛の娘が重い疱瘡にかかった際、道灌は京都久御山町一口(いもあらい)にあり、疱瘡治癒に霊験あらたかとされる一口稲荷神社を江戸に勧請したのである。
時に長禄元年(1457)のことであった。(一口の「いも」は、疱瘡(いも・いぼ)のことで、これらの風土病が村の中に入れないように「あらい・はらい」つまり「忌祓い」をしたことによる。)
家康が江戸入府後、江戸城大改築のため、神田駿河台の大坂に移された。それ以降、この坂を「一口坂」と呼ぶようになったそうだ。太田稲荷の「太田」は道灌に因むものであろうと言われている。
06.04.16