素描・駒
ポケットに小さな画帳を押し込んでスケッチに出かける。
気軽に取り組める「手のひらスケッチのすすめ」を絵画講座の中で実践してきた。
F0,SM,はがきサイズなど、総称してミニアチュールと呼ぶ。
画家は大作に挑む前に小品でエスキースを描く。
構想を練り、イメージを構築していくうえで大事な作業なのだが
ミニアチュールの仕事は最早エスキース・下絵の範疇を越えて
「掌展」「手のひらアート展」と銘打ちいくつかの個展を開いた。
気軽に取り組める「手のひらスケッチのすすめ」を絵画講座の中で実践してきた。
F0,SM,はがきサイズなど、総称してミニアチュールと呼ぶ。
画家は大作に挑む前に小品でエスキースを描く。
構想を練り、イメージを構築していくうえで大事な作業なのだが
ミニアチュールの仕事は最早エスキース・下絵の範疇を越えて
「掌展」「手のひらアート展」と銘打ちいくつかの個展を開いた。
「日本はがき芸術作家展」に寄せて
信州と上州の県境の峠をスケッチして周っていた時、小さな美術館の前を通過した。
館長でもある画家・稲川庫太郎さんの個展が開催されていて、
全国公募のはがき絵の展覧会を企画していることを知る。
講座の受講生たちのモチベーションを上げるのにも良い機会かと応募を勧めた。
一般出品者の一人として私も参加して10年
毎年何らかの賞が付いてくるが気にも留めずモチーフを変えながら
ひたすら己のエスキースを超える手のひらアートを追求してきたように思う。
次につながる実験的発表の場でもあった。
途中、文化会の会員推挙を受けた。審査の要請もあったが辞退した。
無鑑査の作家になりたいとは思っていたが、
今年「大賞」受賞してみると己の仕事の置きどころが理解できた。
(妙義山麓美術館)
花を描く。
描かれた花は枯れなくていいというコレクターがいた。
確かに頒布会の個展で花の絵は成績がよい。
花が嫌いな人もそういないだろう。
四季折々に咲くさまざまな花に誰もが心を和ませる。
美しい花の生命観に魅せられて「花の絵」がモチーフに加わり、スケッチにも余念がない。
アトリエの庭では山野草を育て、バラは2階の屋根まで届くまでに大きくなった。
花の絵は誰が描いても同じだから描かないよなんていっていたのに。
自然と対峙して制作に打ち込もうと東京からアトリエを浅間山麓の山中に移した頃、
頻繁に出かけていた高原でそれまで見たことのなかった高山植物に出会う。
高山植物の花は画家の心を大いに感動させてくれた。
切ることも折ることもできない花たちに会うため画材を担いで通う日々が続いた。
マツムシソウ、ヒメシャジン、ヤナギラン・・・
やがて、これらのスケッチは12枚セットのポストカードとなった。
花の絵というと静物画として花瓶に挿した卓上の花を描く。
植物画というボタニカルアートの画家もいる。
花瓶の薔薇のモチーフで一世を風靡した画家もいる。
誰が描いても同じとは思っていないが
切り花は描かない。描かないつもり。描かないだろう。
花の命を故意に断ち切りたくはないので・・・。
描かれた花は枯れなくていいというコレクターがいた。
確かに頒布会の個展で花の絵は成績がよい。
花が嫌いな人もそういないだろう。
四季折々に咲くさまざまな花に誰もが心を和ませる。
美しい花の生命観に魅せられて「花の絵」がモチーフに加わり、スケッチにも余念がない。
アトリエの庭では山野草を育て、バラは2階の屋根まで届くまでに大きくなった。
花の絵は誰が描いても同じだから描かないよなんていっていたのに。
自然と対峙して制作に打ち込もうと東京からアトリエを浅間山麓の山中に移した頃、
頻繁に出かけていた高原でそれまで見たことのなかった高山植物に出会う。
高山植物の花は画家の心を大いに感動させてくれた。
切ることも折ることもできない花たちに会うため画材を担いで通う日々が続いた。
マツムシソウ、ヒメシャジン、ヤナギラン・・・
やがて、これらのスケッチは12枚セットのポストカードとなった。
花の絵というと静物画として花瓶に挿した卓上の花を描く。
植物画というボタニカルアートの画家もいる。
花瓶の薔薇のモチーフで一世を風靡した画家もいる。
誰が描いても同じとは思っていないが
切り花は描かない。描かないつもり。描かないだろう。
花の命を故意に断ち切りたくはないので・・・。
残雪の浅間山の山麓に咲く桜
春を待ちわびる野も山も立ち枯れて荒涼としている。
厳しい冬を越えて木立の枝に花を咲かせる桜の木
美しい自然の脅威。
「あさま山 すそ野はいまだ かれ色の 木立の中に 辛夷花咲く」稲垣黄鶴
蕗の薹
フキッタマ、フキントウと呼ばれるフキノトウ
春を告げてくれる命の誕生。瑞々しい薄黄味色の蕗の薹。
田舎暮らしをしていると散歩の途中で沢山見つけることが出来る。
山菜としていただく前にスケッチに時間を費やす。
春一番の楽しみでもある。
ほろにがさも ふるさとの 蕗の薹 (山頭火)
フキッタマ、フキントウと呼ばれるフキノトウ
春を告げてくれる命の誕生。瑞々しい薄黄味色の蕗の薹。
田舎暮らしをしていると散歩の途中で沢山見つけることが出来る。
山菜としていただく前にスケッチに時間を費やす。
春一番の楽しみでもある。
ほろにがさも ふるさとの 蕗の薹 (山頭火)
台風の過ぎ去った日 朝からあちこちで綺麗な虹が見られたようだ。
嵐も止んで何事も無かったかのような平穏な午後、用事を済ませて山の家に向かっていた途中に出会った荘厳な虹の橋。
家に駆け戻りカメラをつかんで虹を追いかけた。
虹は山の上に次第に動いて、高峰山の紅葉の始まったばかりの山麓に
光のシャワーを浴びせていた。
やがて西に日が傾き、虹も浅間山の彼方に消えた。
photo:深沢渓谷・高峰山にかかる虹
「美」とは何だろうか。
美しい出来事、美しい風景、美しい人、美しい言葉・・・
人は美しさに憧れる。
画家は表現の「美」を求めて絵筆を振るう。
「美」と云う漢字は大きな羊と書く。
大きな羊ほど美しいということなのだ。
羊はともかく、女性は美人に越したことはない。
人の評価は千差万別、感覚の違いはあるが
インドでは太った人ほど美人なのだそうだ。
かつてインドを旅した時、ホテルのプールで泳いでいた
若い娘さん達は皆大きな肢体で目のやり場に困るほどだった。
インドでは典型的な美人というのは大きな羊さんなのだと思ったものでした。
美しい出来事、美しい風景、美しい人、美しい言葉・・・
人は美しさに憧れる。
画家は表現の「美」を求めて絵筆を振るう。
「美」と云う漢字は大きな羊と書く。
大きな羊ほど美しいということなのだ。
羊はともかく、女性は美人に越したことはない。
人の評価は千差万別、感覚の違いはあるが
インドでは太った人ほど美人なのだそうだ。
かつてインドを旅した時、ホテルのプールで泳いでいた
若い娘さん達は皆大きな肢体で目のやり場に困るほどだった。
インドでは典型的な美人というのは大きな羊さんなのだと思ったものでした。
夏の軽井沢「風の色」と題して開いた個展
会場は離山公園地内のギャラリー蔵。
園内は記念館と旧雨宮邸のお屋敷のある庭園と離山の森、静寂と深い緑の木立ちの中にある。
夏休みのピークとあって国道は大渋滞の様相だ。
会期中台風やら豪雨やらで軽井沢に来た人は難儀な思いをしたことだろう。
三日目の午後だったか、強い夕立があった。
来館者も途切れ、ふと入口の軒下を見やると若い女性が髪を濡らして立っている。
雨のしずくを避けながら空を見上げていた。
「どうぞ、中で休んでいってください。」
「ありがとうございます。どうもすみません。」
身のこなしの軽やかな赤い靴の女性は、ふわりと舞い込んだ蝶のように
会場の中に入って来られた。
二言三言話しているうちに打ち解けて
身の上話をしながら展示の作を熱心に見ていた。
「雨が降らなかったら寄ることもなく素通りしていたかも。雨に感謝しなくっちゃ。」と笑っていた。
やがて雨も上がって、振り返りながら表通りに出て行った娘さんの笑顔が目に浮かぶ。
雲が切れ、木洩れ陽が差し込む頃
木立ちの葉陰で雨宿りしていた小さな蝶が舞い上がった。
ちょっと雨宿り、が素敵な雨宿りのひとを迎えたひと時でした。
「まあ、素敵な青いお数珠。」
法事に出向いた折、高齢の御夫人から声をかけられた。
ジュエリーデザイナーのkawamuraさんにお願いして作っていただいたもの。
ラピスラズリのブレスレット。
ずっと愛用していたお気に入りの逸品のループが切れて珠が飛び散ってしまった。
馬小屋でボロ取りの最中だった。
オガ粉や藁の中に沈んだ珠を夢中で拾い集めたものの一個足りない。
取り置きしてあった珠を足して、ホームセンターで細いワイヤーと留め具を入手して復活させることができた。
かつてインドを旅した時、タジマハルの霊廟の大理石の壁に象嵌されたラピスの青い石に魅せられて
現地で買い求めたことがある。ストーン・パワーとか誕生石とか無縁だが、いつしか油絵の基本色となった。
インドから持ち帰った石は、砕いて磨りつぶしポピーオイルと混ぜて油絵具を作った。
天然のマリンブルー絵の具を使うのが密やかな楽しみだった。
「ねぇあなた、私のサンゴの帯どめ知らない。」
「あぁそれなら、砕いて絵の具になったよ。」
知人の日本画家の夫婦の会話だ。
顔料をにかわと混ぜれば岩絵の具となり、ポピーオイルと混ぜると油絵具ができる。
我が家には高価な石などないから心配はないけれど、
石や砂や瓦から手製の絵の具をつくるのも楽しい。
デザイナーの手を煩わせることなく
再生されたブレスレットは今も手元で碧く光っている。
「白い木馬」f10油彩
1989年まちだ東急美術サロンで開いた個展案内状に載せた作。
この個展で一番先に売約になった「白い木馬」の持ち主から連絡をいただいた。
25年ぶりの声の再会である。
「今でもだいじにしてます。」と、横浜にお住まいの(O)さん。
長い年月を隔てた電話での応答ではあったが、うれしかった。
木馬シリーズを描いていた頃、しばしばヨーロッパに出かけていて
ベルギーのアンティークショップで買い求めた白い木馬がモチーフとなって
絵の中に登場するようになった。
メリーゴーランドの木馬やこの白い木馬は、人生の旅を想起させてくれる
モチーフで、夢中になって描いたものだ。
今、アトリエで生きた馬と暮らすようになるとは、当時の画家にとっても
想定外のできごとなのだ。
「白い木馬」の案内状の個展は何度目かは定かではないが、初期の時代、
新進作家と呼ばれていた頃のことで、思い入れも強かった。
その個展の案内状が二十数年ぶりに人の手を介して手元に戻って来た時
驚きとともに以前ブログにアップしたことがあって、それを(O)さんが
見つけてくださり、連絡がとれた。
モチーフになった木馬もアトリエの居間にいるけれど
生きた馬の絵も描いています。
今夏、軽井沢で61回目の個展を開きます。
1989年まちだ東急美術サロンで開いた個展案内状に載せた作。
この個展で一番先に売約になった「白い木馬」の持ち主から連絡をいただいた。
25年ぶりの声の再会である。
「今でもだいじにしてます。」と、横浜にお住まいの(O)さん。
長い年月を隔てた電話での応答ではあったが、うれしかった。
木馬シリーズを描いていた頃、しばしばヨーロッパに出かけていて
ベルギーのアンティークショップで買い求めた白い木馬がモチーフとなって
絵の中に登場するようになった。
メリーゴーランドの木馬やこの白い木馬は、人生の旅を想起させてくれる
モチーフで、夢中になって描いたものだ。
今、アトリエで生きた馬と暮らすようになるとは、当時の画家にとっても
想定外のできごとなのだ。
「白い木馬」の案内状の個展は何度目かは定かではないが、初期の時代、
新進作家と呼ばれていた頃のことで、思い入れも強かった。
その個展の案内状が二十数年ぶりに人の手を介して手元に戻って来た時
驚きとともに以前ブログにアップしたことがあって、それを(O)さんが
見つけてくださり、連絡がとれた。
モチーフになった木馬もアトリエの居間にいるけれど
生きた馬の絵も描いています。
今夏、軽井沢で61回目の個展を開きます。
ひとつ屋根の下で馬と暮らす。
母屋と厩(うまや)がつながっている農家。
境めは土間でかまどのある台所だ。
馬も生活の一部始終を見ている家族なのだ。
お母さんが風呂に入ると背中をぺロリ、なんてことも。
「厠(かわや)を知るには馬に聞け」ということわざがある。
厩と厠がそばにあるという例えのようだ。
曲屋の暮らしを知りたくて岩手・遠野を何度か訪ねた。
昔の曲屋を一か所に移築して記念公園が整備されていて、往時を偲ぶことが出来る。
旅の途中、民家に馬の姿を見かけたので立ち寄らせてもらった。
馬小屋のそばの畑で仕事していた高齢のおばあさんと話が出来た。
「昔はどこのうちにも馬っこがいてね。」・・・
おじいさんが馬が好きで可愛がっていたのだそうで、
亡くなってからは自分が面倒みてやっているんだと
遠い空を眺めながら語った。
丸い眼鏡の奥のやさしい瞳と笑顔が忘れられない。
東北地方には遠野に限らず、駒の里と云われている地域が多数存在する。
我が信州においても機械化が進み、車社会になる前までは
どこの家にも馬か牛がいたと農家の人が話す。
家の庭で馬を飼う。
馬の絵が描きたい。
と思う願望の裏には、暮らしや動物への
ささやかな愛の証が欲しかったのかもしれない。
(画像:「曲屋」油彩・canvas)
雄大な浅間山を背にしなの鉄道の電車が往く。
かつての信越線が碓氷峠で分断されてしなの鉄道に替わったのは
長野オリンピックの頃だったろうか。
新幹線が開通し、長野・東京間のアクセスは便利にはなったが
浅間山の雄姿を眺めたり、ホームに飛び降りて釜めしを買ったりする
旅の楽しみは遠い昔話になってしまった。
どっかりと野にイーゼルを据えて浅間山を描く。
大自然の空気と山の威圧観を肌で感じながらcanvasに向かう。
東京からアトリエを移したのもこのためだった。
絵に自然の息吹を吹き込むために。
文人墨客も好む軽井沢、多くの画家たちが浅間山を描いたことだろう。
私にとっても浅間は少年期から見慣れた心の山だ。
これまで何点描いてきたか、定かではないが
「浅間百景」「信濃春秋」の個展を重ねて発表してきた。
しなの鉄道の電車を入れた浅間の絵の評価は悲喜こもごも
「電車がなければ買いたい。」と云う人。
「いろんな人の人生を運ぶ電車がいい。」と云う人。
ローカル線の電車が走る風情に趣きを感じて描いた作だから
「電車を消します。」とは言えなかった。
(画像:「しなの鉄道」F20 油彩・canvas/東京都・K氏蔵)
馬の絵を描きたいと思うようになったのはいつの頃だったか。
遊園地のメリーゴーランドの木馬をモチーフにしていたことがある。
ヨーロッパを旅した折、立ち寄ったアンティークショップで買い求めた木馬の置物、
中国の兵馬庸のレプリカ、骨董品店の店先で埃をかぶっていたブロンズ、
馬への興味はもっぱらグッズ収集に向けられていた。
それらの「馬」はしばしば絵の中に登場してくるようになった。
「日本の原風景」「故郷の山河」を主題に風景画に取り組むようになって、
更に自然を知るためにと制作のアトリエを東京から信州の山中に移した。
自然の息吹を肌で感じる感動は作家として貴重な体験となった。
朝、谷の下から湧きあがった雲がアトリエの庭に踊り込んでくる。
木立を吹き抜ける風の音、谷のせせらぎ、鳥たちのさえずり・・・
新緑の春、紅葉の秋、霧氷、四季の変化に戸惑いながらの暮らしが続く。
自然の空気観と生命観が作品に反映出来たら素敵な絵が描けそうだ。
そんな想いで模索していたころ
スケッチ取材の旅の途中で出会った牧場の馬、乗馬倶楽部の馬たち。
生きた馬との出会いもまた衝撃だった。
美しい肢体、躍動する大きな命の塊り。馬の生態を知りたいと思った。
馬を知るためには乗馬も出来なければと一念発起、乗馬倶楽部にレッスンに通うことになる。
ダービーにも出たことがあるという競走馬から引退して乗用馬になったサラブレットに体験乗馬
させてもらったのが最初で、常歩・走歩・駈足(ウォーク・トロット・キャンター)の歩様が
扶助出来るようになるまで何鞍騎乗したことか。
乗馬の楽しさにのめり込むと次は自分の専用の馬が欲しくなる。
自馬を持つということは維持費もかかり大変なのだが、
若い馬との出会いがあって家に連れて来てしまった。
家の庭で馬を飼う夢が叶ってしまったのだ。
馬と人がともに生きる姿は素敵だ。
人馬一体というが、心の通い合う関係を維持していけたらと思う。
早春の野に立ち山を描く。
峰々の残雪の白が眩い。山麓の木々は芽吹きもせず枯れ野の様相を呈している。
スケッチのポイントを探しながら丘陵地を登って行くと突然薄紅色の花の木に出会った。
「江戸彼岸桜」の小木だ。
残雪と枯れ野原の風景の中にあって桜の花が春を予兆するかのような光彩を放っていた。
雄大な山の懐に咲く桜の花に心を奪われた想いがした。
東京でも見慣れていたはずの桜だが、信州の自然の中で出会った桜は生命観に溢れ美しかった。
個展を間近に控え無我夢中で桜を描いた。
桜の花との出会いの感動が伝わったのか、
幸い個展は好評で「新境地の風景」「桜のオオシマ」などと呼んでくれるコレクターもいた。
桜の木にも沢山種類があって、見分けるのも難儀した。
スケッチの途中で出会った野に咲く小さな桜の種類も後々知ることが出来た。
アトリエの裏庭に「小諸八重紅枝垂れ」「雨情桜」の苗木を植えた。小彼岸桜、山桜も咲く。
桜に強い関心を抱くようになってからは、全国にある桜の名所や旧跡を訪ね歩くことになるのだが、
千年の三大桜と云われている岐阜の薄墨桜、山梨の神代桜、福島の滝桜には毎年会いに行くようになった。
桜前線とともに歩く桜のスケッチの旅は今でも続いている。
(画像:岐阜・薄墨桜/水彩・和紙f30)