大島康紀☆雪月花

Artist COKY.OSHIMA
Painting,Drawing
Arts & Essay

木版 一茶を彫る

2020-03-16 | Essay
蝶とぶや しなののおくの 草履道 (一茶)



手のとどく 山の入日や 春の蝶 (一茶)



板に向かい一茶を彫る

信濃の山河を偲びつつ

蝶と戯れる

花開くとき蝶来たる

2020-01-12 | Essay


花無心にして蝶を招き

蝶無心にして花を尋ね

花開くとき蝶来たり

蝶来たるとき花開く

吾また人を知らず

人また我を知らず

知らずして帝則に従う

  (良寛漢詩無心 花と蝶)

令和の正月 良寛の漢詩に出合う
書初めに全紙半切紙に書いてみた
どんど焼きで燃やすと上手くなると聞いた
蝶の保全活動にも身が入る
自然のままに・・・。


卓袱台の絵

2018-11-26 | Essay


渡り蝶、浅葱斑(アサギマダラ)の作。
昨年来連作している蝶シリーズ。

南下中のアサギマダラが我が家の蝶の庭に飛来するのは9月に入ってから。主にフジバカマの吸蜜に集まってくる。
コスモスやツワブキの花に止まるアサギマダラの姿もまた可憐で美しい。

春に株を分けて頂いたツワブキに花芽もついて蝶の飛来を待ちわびていた。

浅間山は長年描き続けてきたモチーフ。

アサギマダラとツワブキ、そして浅間山。
描きたかったモチーフが揃っての一作。

約30号ほどのサイズの作は元は卓袱台。
一枚板に枠がついている。足を外して納屋に放り込まれていた代物。
戦前より我が実家で使われてきたものだ。

2018 描き納めの一作。

アオスジアゲハのスケッチ

2018-02-13 | Essay


アオスジアゲハを描く

ビルの谷間の小さな花壇に吸蜜していたアオスジアゲハに出合った。
初めて見た蝶に興奮を隠せず、呆然としてしまった。
昨年の初秋、東京の都心でのハプニング

アオスジアゲハの生態を調べてみると
幼虫の食草はクスノキ
ビルの乱立する東京でも公園や神社など
クスノキが生えている場所が多数あることに気づく。

探し求めているときは出会う事ができず
ある日偶然の仕業としか言いようのない出会いが訪れるのだ。



オオムラサキの絵

2017-08-16 | Essay


オオムラサキ
蝶の棲む郷づくりプロジェクトの発足に伴い
イラストを一点。
シンボルキャラクターとして使用の予定。

地域の自然を活かした生態保護活動が始動
オオムラサキの里・糠地郷プロジェクト
東信濃にはいないと云われる
絶滅危惧種ミヤマシジミもこの地では保護している。

雑木林の整備と蝶の食性樹の植林など
天然のフィールドを活かしていこうという取り組みなのです。


絵を観るひと

2017-01-12 | Essay
絵画鑑賞、美術館の常設展や話題のイベントを拝見するのもいいが
個展を開いている画廊巡りも楽しい。

我が画歴に残る個展も数えきれない程になり記憶から遠ざかってしまったイベントも
多々あるけれど、熱心に作品に見入る鑑賞者の姿に感動したこともあった。
作者は絵を観ている人に視線を注ぐ。

デパート画廊の個展のおり、担当さんに声を掛けられてじっくり鑑賞できなかったなどという声も聞く。
頒布展ならではのトラブルもある。
美術商も画家もボランティア活動をしているのではないのでその辺は良識あるマナーで対応して頂きたい。
入場料、入館料を支払って観る展覧会の作品にはプライスカードはついてはいないのです。



一枚の展示作品が人の心を繋いでくれる事がある。
作者と観者の共鳴和音のような不思議な空気感を体感したこともあった。
コレクターとか蒐集家という人ではない一般の人が生涯一度の買い物をした絵を大事にしているなんて話を聞くと嬉しいものです。

批評に晒される作者にとっては常に「俎板の鯉」なのだが
心に留めてもらえる仕事ができるよう精進したいものです。



霧氷の朝

2016-12-08 | Essay


裏山の霧氷
 
城戸山、通称尻っぺた山と呼ばれて親しまれている地元の山だ。

雪の日の樹氷は見慣れてはいたものの

冷え込んだ朝に見る霧氷の光景には感動してしまう。

夏場のアトリエに使っていた山の家を降りて東京に戻ろうとした最初の年の初冬、

初めて見た霧氷の景色に驚き、画室に駆け込んでキャンバスに向かった記憶が忘れられない。

春の芽吹き、夏の緑、秋の紅葉 何れも魅惑の季節なのだが

冬の華の銀世界もまた素敵なのだ。


馬と暮らし馬を描く

2016-09-22 | Essay


画家の評価はその時々の描く作品によってキャッチフレーズが付けられていく。
山の画家、桜の画家、馬の画家などと呼ばれてきた。
風景画に取組み始めた頃は東京に住んでいて、取材に全国を走り回っていた。
地方都市での個展企画が入るとその地域の取材にも足げく通ったものだ。
風景画を更に極めるには、自然の中で暮らすことに思いが至り、東京から長野の山中にアトリエを移し田舎暮らしをはじめた。
空、雲、風、草、花、虫・・・見るものすべてが感動だった。
スケッチの旅の途中に立ち寄った牧場で放牧されていた馬と出会う。
それから馬のことが知りたくて乗馬クラブを探しレッスンに通うことになって、
自馬にした若い馬との出会いがあって、とうとう家に連れてきてしまった。
動物の命の大きな塊のような馬の姿の魅力は尽きない。
馬と暮らし、馬を描く暮らしも十年になる。
外乗に出るとカッ跳ぶやんちゃぶりを発揮しつつも、モデルになってくれる素敵な相棒なのだ。



10月の軽井沢での素描画展 馬の絵 出展します。

風の丘

2016-01-05 | Essay


赤毛の少女が駆けてきた
朱色の屋根が連なる小さな街並み
買い物帰りの母と子
少女の手には大きなバケット

丘の上でスケッチブックを拡げて
座り込んでいた画家の横を親子が通り過ぎる
そよ風をつれて

町はずれの風車がゆっくりと回っていた

ベルギーのブルージュ郊外で出会った光景
あの子の名前はきっとアリスと云うに違いない
などとつぶやきながらペンを走らせた

「風の丘」f10 油彩・canvas

桜の絵とNさんと

2015-11-16 | Essay

桜花大樹(oil/canvas s12)N氏蔵

ある年の個展の初日、会場に入るとNさんご夫妻が待っていてくれた。
いつも個展の案内を楽しみにしていてくださり
奥さまのお気に入りの作をお買い上げいただいた。

早春の枯れ野に花を咲かせる桜の木に魅せられて・・・などとお話にも花が咲いた。
その奥さまが数年前に亡くなられ縁が途切れてしまうかと思いきや
ご主人が引き継いで懇意にしていただいてきた。
そして昨日、ご主人の訃報を知った。
いつも見ない地方紙のお悔やみ欄にNさんの名前があった。
葬儀の会場に駆け付けた時はすでに告別式が済んだ後だった。
喪主の長女さんにお会いすることができ、遅ればせながらお焼香もさせてもらうことができた。

Nさんのお宅には何度かお訪ねしたこともあり
玄関、居間、客間どの部屋にもわが愚作が飾ってあった。
とてもお世話になった恩人なのである。

桜の絵、素敵よね。
個展会場の絵の前で頬を染めながら語っていた奥さまの笑顔が思い浮かぶ。
浅間山麓の山中にアトリエを移したり
「桜のオオシマ」といわれるようになったのもNさんのおかげだと
心より感謝して、ご冥福を祈ります。(合掌)






















青春の一頁

2015-11-02 | Essay
悠然と泳ぐ深海の鮫を描いた青い絵
二十代半ばの作、当時グラフィックデザイナー、イラストレーターの仕事を生業としていた頃、
新宿の外れに小さなアトリエを構えてポスターやカレンダーの仕事に勤しんでいた。
注文仕事に追われる中で唯一描き上げた依頼のない自分仕事。
我が心情は自由に大海を泳ぐ魚のイメージと重なり
シュールリアリズムの影響を受けながら好んで描いたものだった。

この青い鮫の絵が先日手元に帰って来た。
所蔵していただいていた恩人が山のアトリエに絵を届けに訪ねてくださった。
当時クライアントとしてお世話になっていた服部さんとはプライベートのおつきあいもあって
夜の町にもしばしば繰り出した記憶がある。
しばらく疎遠になっていた交流もNetのおかげで再会が叶い昔の話に花を咲かせた。
服部さんがこの絵は作者の元に置いた方が良いだろうというのだ。
絵が邪魔になりましたか、なんてうそぶきながら
数十年の歳月を越えて再会した作は傷一つなく
額装されたまま大事に持っていてくれたのだと思うと嬉しかった。
君の原点でもあるよね。
服部さんの言葉が心に響いた。





やがて、デザインの仕事から徐々に遠ざかり
油絵の心象風景などを中心に描く画家としての一本道を歩いてきた。
画風やモチーフは時代とともに移っても
心の底の理想の世界を追い求めて描く画家であり続けたいと願うばかりだ。

秋の野

2015-09-30 | Essay
秋草の茂る畦道にコスモスが咲いている。



野原に舞い降りる白鷺が数羽
晴れ渡った青空と白い雲。



スケッチブックも開かず
秋の野の風を浴びていた。




ツリガネ草の演奏を聴きながら



(浅間山麓 小諸西域にて)