一千二百羅漢の寺-愛宕念仏寺
大乗仏教の菩薩をまだ知らなかった小乗仏教の時代、とくに部派
仏教の時代には、仏道修行者は、出家をして、厳しい戒律の下で
長い長い修行を続け、預流、一来、不還と、一段、一段、聖者への
位を登りつめ、最後に阿羅漢果を取得してその修行を完成した。
その頃の教えでは、佛は釈迦牟尼ただ一人で、人は佛になること
はできず、阿羅漢が人の到達できる聖者としての最高位とされた。
羅漢さんである。
今も部派仏教の流れを汲む南伝仏教の国々では、多くの出家者が
阿羅漢を目指して日夜修行に励んでいる。
そんな羅漢さんの石像を一千二百体も境内に集めた寺が奥嵯峨
にある。
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)である。
愛宕街道が試峠とさしかかる手前にその寺は仁王門をかまえる。
寺伝では、称徳天皇(孝謙天皇重祚)によって開かれたと伝えられ
るから、寺歴は古い。
現在は天台宗の寺で、今の地に移転したのは大正11年である。
石段の踊り場に設けられた三宝の鐘。
仏、法、僧の音をかなでる。
山の傾斜地をうまく利用して開かれた寺でである。
階段を上る苔むした沢山の羅漢さんが迎えてくれる。
本堂とふれあい観音堂。
同じ顔をした羅漢さんは一体もない。
見ているだけで楽しくなる。
煩悩を去れば人は生まれたままの天真の姿になる。
羅漢さんはそれを教えてくれている。
多宝塔
紀元前後になると、在家信者の間から空と廻向の思想を柱とする
新しい仏教の流れが興り、人は菩薩として自ら佛になれると説き、
上求菩提、下化衆生が説かれるようになった。
その教えを信じる人々は、自らの教えを衆生済度のマハーヤーナ
(大乗)であるとし、それまでの教えを、自らの菩提のみを求めるヒ
ーナヤーナ(小乗)であると批判した。
後に大乗仏教と呼ばれるようになった仏教の流れである。
その流れは、中央アジアを経て中国へ、そして朝鮮半島へと伝え
られ、やがて日本へも伝わった。
いわゆる北伝仏教である。
そうした流れの中で、羅漢さんは菩薩におきかえられ、やがて羅
漢の名前すら人々の記憶から忘れ去られていった。
奈良時代に学ばれていた南都六宗のうち、倶舎、成実は前者の、
残る三論、法相、華厳、律は後者の流れを説く教えである。