京都嵐山の山腹に建てられた小さなお堂、
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千光寺の大悲閣である。
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遙か下を保津峡の急流が流れ下る。
シーズンを迎えると保津川下りの観光船がその急流を流れ下る。
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千光寺はもと嵯峨清涼寺の近くに後嵯峨天皇の祈願所として建てられたお寺で、長らく衰退していたのを、保津峡の開削をした江戸初期の豪商角倉了以が、保津川の工事で命を失った多くの人の菩提を弔うため、寺をこの地に移して再興したのが大斐閣千光寺である。
それから約400年の間、大悲閣はこの懸崖の上から大堰川(保津川)の舟運の安全を見守ってきた。
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昭和34年の伊勢湾台風で寺は大被害を受け、大悲閣も損傷したが、一昨年ようやく修復がなって一般公開されるようになった。
本尊の大悲観音(千手観音)は恵心僧都の作と伝えられる。
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もともとは天台宗の寺であったが現在は黄檗宗の寺である。
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渡月橋からは眺めるこが出来ず、法輪寺の通りを西に大堰川(保津川)を遡ること約30分、寺へ続く石段が現れる。
その石段を九十九折りに登りつめると山門が現れる。
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本堂にあたる大悲閣は懸け造りで急斜面に建てられており、縁に立って見おろすと少し怖い。
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仏殿には本尊の大悲観音(千手観音)と隣り合うようにして岩盤を砕く鶴嘴を手に片膝を立てて輪王座を組む角倉了以の像が今も祈りをつづける。
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千光寺の大悲閣である。
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遙か下を保津峡の急流が流れ下る。
シーズンを迎えると保津川下りの観光船がその急流を流れ下る。
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千光寺はもと嵯峨清涼寺の近くに後嵯峨天皇の祈願所として建てられたお寺で、長らく衰退していたのを、保津峡の開削をした江戸初期の豪商角倉了以が、保津川の工事で命を失った多くの人の菩提を弔うため、寺をこの地に移して再興したのが大斐閣千光寺である。
それから約400年の間、大悲閣はこの懸崖の上から大堰川(保津川)の舟運の安全を見守ってきた。
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昭和34年の伊勢湾台風で寺は大被害を受け、大悲閣も損傷したが、一昨年ようやく修復がなって一般公開されるようになった。
本尊の大悲観音(千手観音)は恵心僧都の作と伝えられる。
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もともとは天台宗の寺であったが現在は黄檗宗の寺である。
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渡月橋からは眺めるこが出来ず、法輪寺の通りを西に大堰川(保津川)を遡ること約30分、寺へ続く石段が現れる。
その石段を九十九折りに登りつめると山門が現れる。
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本堂にあたる大悲閣は懸け造りで急斜面に建てられており、縁に立って見おろすと少し怖い。
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仏殿には本尊の大悲観音(千手観音)と隣り合うようにして岩盤を砕く鶴嘴を手に片膝を立てて輪王座を組む角倉了以の像が今も祈りをつづける。
Hello KYOTO事務局と申します。
京都市とエイベックス・ミュージック・クリエイティヴ株式会社が共同で開発している「Hello KYOTO」と言うスマートフォンアプリがございます。
http://kyoto-city.avex.jp/
このたび、さまざまなブロガーさんのブログより秀逸な記事を掲載されている方をピックアップし、Googleマップ上に登録した拠点にて紹介させて頂くと言う企画を始めさせていただきました。
こちらのコーナーにて「千光寺」の記事を我々のアプリで紹介させて頂こうと思い、アプリ上の「Walking MAP」よりこちらの記事にリンクさせて頂いております。
問題がございましたらリンクを削除させて頂きますので、お気軽にお申し出ください。
※お手数ですがウェブサイトまたはアプリ内の「お問い合わせ」からご連絡頂けますと助かります。
それでは、何卒よろしくお願いいたします。