疎水分線(5)
下鴨をへて鴨川東岸に至った疎水分線の水は、鴨川をサイホンで
ぬけ、その水は現在の紫明通をへて堀川へと流されていた。
その疎水路の両側の建物が、戦争末期に防火線確保のため強制
撤去されて現在の紫明通となった。
一方、堀川も河川改修によって水が消えて空堀となり、鴨川から
先の疎水分線はその役割を終えた。
その後、平成に入って、鴨川から紫明通をへて押小路橋までの
約4.4キロ区間で、疎水分線の流れを復活させるため、紫明通と
堀川通にせせらぎと遊歩道とを整備する「堀川水辺環境整備事
業」が計画され、平成9年から平成20年にかけて、その工事が行
われた。
その結果、現在では、一時途絶えていた鴨川以西の疏水分線の
流れが、姿を変えて復活している。
紫明通の現在の疎水分線
下鴨を流れ下ってきた疎水分線の水は、サイホンによって鴨川、
加茂街道を越え、紫明通の「紫明せせらぎ第1公園」の中の瀧に
汲み上げられて流れ落ち、
水は「せせらぎ水路」となって
紫明通を西へ向かう。
現在、紫明通には、第1から第6まで6区画の「紫明せせらぎ公
園」が作られ、遊歩道が整備されている。
紫明通の名は、東に聳える比叡山の四明岳に山紫水明をかけ
て新村出によって命名されたという。
東に四明岳を望む堀川紫明の交差点
堀川を流れる現在の疎水分線
堀川は、平安京を開くために造られた東西二本の資材運搬用の
運河の一つ、東堀川がその由来だといわれ(もう一つの西堀川
は現在の紙屋川)、堀川通の東ぞいに南に延び、木材や物資の
運搬に使われた。
「堀川水辺環境整備事業」が完了した現在では、堀川紫明から
堀川今出川までの間は、堀川通の中央分離帯に、「堀川せせら
ぎ公園」が設けられ、
紫明通の「せせらぎ水路」を流れてきた疏水分線の水は、堀川通の
中央分離帯の「せせらぎ水路」を、西から南へと向きを変えて流れ
下る。
堀川通の「せせらぎ水路」は、堀川今出川の交差点手前約20メー
トルで、一旦、その姿を消す。
姿を消した「せせらぎ水路」は誓願寺橋の下から再びその姿を現し、
その位地を道路中央の分離帯から堀川通東端に移し、かつての
堀川の中に新しく作られた「せせらぎ水路」を流れ下る。
堀川通をはさんで東は、西陣会館、そして清明神社である。
戻橋(一条通)からから押小路橋(押小路通)までの約2キロの区
間、かつての堀川は堀川親水公園となって整備され、市民の憩い
の場を提供している。
堀川第一橋(中立売通)付近の堀川
椹木町橋(椹木町通)から丸太橋(丸太町通)あたりの堀川
堀川通をはさんで西は二条城である。
二条橋(二条通)から南へ見下ろす堀川
疎水分線の水は押小路橋(押小路通)の下で、その一部が二条
城の外堀へと取り入れられ、残りは地下の排水管に姿を消す。
ちなみに、現在、堀川通の地下には直径約6メートルの排水管が
埋設されている。