今日は「禅」のお話し。
「放下著」ほうげじゃく と読みます。この言葉は、「従容録」しょうようろくに出てくる言葉で、総てを棄てよ! と言う意味です。
日本の禅宗の教えの本質は、主体性を失わずに人生を生き抜く事。
これによって、充実し幸せに満ちた人生を送ることが可能になる。一つの哲学です。ここには所謂「極楽浄土」的なものはありません。救われるのは、あの世に逝った時ではなく、今、この現実の世に於いて救われなければならない。ですから「禅宗」の教えにはリアリティーがあります。
「放下著」ほうげじゃく と読みます。この言葉は、「従容録」しょうようろくに出てくる言葉で、総てを棄てよ! と言う意味です。
日本の禅宗の教えの本質は、主体性を失わずに人生を生き抜く事。
これによって、充実し幸せに満ちた人生を送ることが可能になる。一つの哲学です。ここには所謂「極楽浄土」的なものはありません。救われるのは、あの世に逝った時ではなく、今、この現実の世に於いて救われなければならない。ですから「禅宗」の教えにはリアリティーがあります。
今この世で救われる為には?
主体性を持ち、主体性を失わず、自分を磨く事。そして総ての結果は自分に帰する。
家庭・会社・学校・社会・・・皆さんこの現世で暮らし、その中で悩みを抱えます。その悩みは、自らが背負いこむモノです。
身の丈以上の着物を着るから、ズルズルと引きずり、歩き難くても脱ぐ事をしないで後生大事にし、挙句には足を取られて転んで大怪我。
そんなものです。 傍から見ると、「なんてバカな」と思いますが、本人は真剣そのもの、ズルズルの着物が体に合っている事が解らないくらいに、モノが見え無くなっているのです。開きめくら、とはこの事。見えている様で、見えていない。これでは道を誤ります。
悩みを解決する方法は簡単です。悩みの元を棄てれば良いのです。
どんどん捨てること。中途半端な棄て方ではダメです。一切を棄てればイイのです。極端に言えば、「命」以外の総てを捨てること。そして、その結果「主体性」を臍下丹田にずっし据えて、「オレはオレだ! 好きに生きる!」と勝手に生きれば良いんです。
これで万事スッキリです。
今、総てを一度に棄てられなくても、少しずつ肩の荷を棄て、軽くしていけばいつかは、まったくスッキリした晴れやかな気分に絶対なれます。ホント!
死ぬことはありません。せっかくすがすがしい気分になれるのに、なんで死んじゃうの?もったいないヨ。だったら、好きな事やって楽しく人生を暮らしましょう。
お金がないから無理?
そう思っている内はダメ。賢い人は、お金がなくても楽しくやってるよ。
それには、「放 下 著」みんな棄てちゃえ。
つまらないモノを担いでいる内は、幸せなんて来ないヨ。
それには、「放 下 著」みんな棄てちゃえ。
つまらないモノを担いでいる内は、幸せなんて来ないヨ。
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