日大フットボール部員が試合中、相手選手を「つぶす」ため
目に余る反則を侵し負傷させた。
酷い。
日本大学フットボール部はナニ?組織暴力団?
少なくとも、スポーツをする集団ではないようです。
スポーツの目的はルールに沿って競争したり、楽しみを求めな
がら心と身体の健康を保つ行為だと思うんですが・・・
指導者が競技者に対し出場を条件に反則を促す。
その目的は、相手選手への反則を伴った業務上の傷害を与え競
技への出場を阻止するため。その先にはチームが試合に勝つと
いう目的が存在する。
この事件、まずは日本大学の体質に、「勝つためには手段を選ぶな。」
という、スポーツ精神とは余りに掛け離れた意思がフットボール部内に
在った事は間違いない。
これ、人が社会で暮らす中で最も忌み嫌うべき思考・精神で、差別を
含めてあらゆるネガティブな要素を肯定する根源です。
もう一つ、よく使われる言葉に「勝ち組・負け組」というチャーリー
の大ッ嫌いな言葉がありますが、日大フットボール部は常に勝ち組
でいなければならないという課題を課せられていたんでしょうね。
だったら、選手・人を育てる指導者を置き、選手・人を育てるコーチ
を集めれば良い事で、こんな糞みたいな監督とコーチの指導を受ければ
犯罪者になりかねないって事。
つまりは、的確な人事を行使できない日本大学の体質がこの事件を起こ
させたとも言えます。
チャーリーはいつも言うように、日本人は世界に抜きんでている優秀な民
族であると胸を張って言えます。先人たちが日本の社会を支え、より良い
社会にしようと日々努力して来た結果です。そこには競争よりも助け合い
共存していこうとするアジア人・日本人の哲学があったからではないでし
ょうか?
ハッキリ言います。
勝つより負けたほうが、人はより大きく育ちます。
良い指導者は、勝利から学ぶのではなく敗北から学びます。
日本の社会は「負け組」という言葉をもてあそび、敗者を蔑み
敗者であることを忌み嫌います。それでは人の痛みなんかわか
りません。
勝つか、負けるかは常に自分に対して向けるべき言葉であって
人に対し相手に対し、隣人に対し、友人に対し、周囲のあらゆる
人に対して使うべき言葉ではない。という事を知らなければなり
ません。
大人の嗜みです。
少なくとも、日本大学アメリカフットボール部という組織は教育
機関と見るべき存在ではありません。人を育てず人をつぶし、部
員を奴隷として理不尽な命令を強要する反社会的な組織であると
いう事が明らかになった事は確かです。
主体性・人間性を持った賢い人ならば、そんな組織には居られず
自ら退部するでしょう。
「負けてもイイんだよ。」という心の広さ・大らかさが日本の社
会にも欲しいと感じます。そして、「負けてもイイんだっ!」と
いう気持ちが、脅迫観念から自分を追い詰めるような事はなくな
るだろうし、心に余裕をもち張りつめた糸が、プッツンと切れる
ような事もなくなるでしょう。
誰からか、理不尽な事を強要されたら、「オレはしらねーよ。」
と開き直れる強さ。人は人、オレはオレ。としっかりと主体性を
失わない事が大切です。
今回の日本大学フットボール部の行為は、暴力団のやっている鉄
砲玉を使って障害を排除しようとする行為と全く同じです。
恥じ入るべき行為ですが、おかしなことに日大側はそれが理解出
来ないようです。
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