岩瀧山 往生院六萬寺のブログ

岩瀧山 往生院六萬寺のブログ
行事案内等
ホームページ
http://oujyouin.com/

往生院六萬寺 年間・毎月の行事

2001年01月06日 | 往生院六萬寺 縁起
往生院六萬寺 年間・毎月の行事

年間の行事(平成26年度)

1月1日 修正大般若法要・仏殿秘仏公開




1月2日 民具供養館開館


1月5日 小楠公忌


2月3日 節分会


2月15日 釈尊涅槃会


3月17日~23日 春・彼岸施餓鬼法要


4月8日 釈尊降誕会


8月12日~16日 お盆施餓鬼法要


8月24日 地蔵盆法要


9月20日~26日 彼岸施餓鬼墓前回向


10月5日 先代住職毎歳忌


12月8日 釈尊成道会


12月31日 除夜の鐘



毎月の行事

 1日 往生院稲荷大明神様御供養


 5日 小楠公・先住御供養


18日 奥の院観音菩薩様御供養


24日 水子地蔵尊御供養


28日 岩瀧不動明王様御供養



往生院墓苑 墓所・墓石について

2001年01月05日 | 往生院六萬寺 縁起
往生院墓苑 墓所・墓石について

大阪平野が一望できます。








空き墓所、若干ではございますがご案内できます。

お墓の建立をお考えの方は、どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。

概要

ご見学、ご相談は、いつでも受け付けております。できましたら事前にお問い合わせの上にて、お越し下さいませ。(但し、土日祝・彼岸・お盆での法要等にて忙しい場合は、ご案内が難しい場合もございます。)

宗旨宗派は問いませんので、ご安心下さい。神道・キリスト教の方もお受けできます。但し、当寺・墓苑内に関するご供養、法要の全般については当寺の僧侶がお勤めすることとなります。

ご墓石販売・施工に関しては、指定石材店のみでの扱いとなりますので、ご了承下さいませ。当寺特別奉仕価格にて安心してご提供をさせて頂きます。

年間管理料以外に、寄付や護持会費等はお願いすることはございません。これまでお願いしたことも一切ありません。(但し、任意による寄付のお申し出につきましては、有り難くに頂戴をさせて頂きます。仏法興隆、衆生済度の聖業のために使わせて頂きます。)

年忌、墓前回向、施餓鬼などの各ご供養については、任意での受け付けとなりますので、お申し出がない限り行いませんし、こちらから強制することも、もちろんありません。

尚、月参りはしておりません。

・・

墓地・永代使用料

1聖地(3尺×3尺) 基本価格 80万円~ 大きさや場所等により変動(65万円から~もございます)致します。ご案内時に各対応をさせて頂きます。

年間の管理料は、1聖地 4,800円を基本として頂いております。管理料は、共益費扱いとなります。

その他、詳しいことは寺務所までお問い合わせ下さい。

尚、用途に応じて、永代供養専用区画、合祀供養塔もご用意してございます。お気軽にご相談下さいませ。



ラグビーの聖地・花園ラグビー場も見えます。




阿倍野・ハルカス


雪景色

往生院民具供養館・歴史館・展示館について

2001年01月04日 | 往生院六萬寺 縁起
往生院民具供養館・歴史館・展示館について

民具供養館


歴史館・展示館


見学につきましては、事前に問い合わせが必要です。個人の見学は基本的にお受けできません。団体見学の場合は、必ず事前に下見を行って頂いております。

定期開館・・毎年の1月2日と5月5日。午前10時~午後3時半まで

先祖から受け継いだ民具は、時代の大きな流れの中で、近年急速に姿を消してしまいました。現在、使用されている例は極めて少なく、牛で田畑を耕す風景は都市近郊ではすっかり見ることがなく、あらゆる分野で機械化、近代化かが進み、民具は姿を消す一方で寂しい限りです。

先住住職が民具を寺で供養できないかと、農耕具を中心に集めかけられたのが始まりで、今では貴重なものが多く、三千点以上を数えています。

往生院では、昔の先人の知恵、道具の大切さを後世に伝えるべく、開館当初より、保育園や小学校、中学校を中心として社会見学をボランティアで行って参りました。多い時で一年間で50校近い学校からの見学を受けさせて頂きました。(現在は保育園のみの受け入れとなっております。)

 
一 見学は前もっての申し込みが必要となります。(お彼岸・お盆・土日祝は基本的に不可)
一 個人の見学は特別な場合を除き受け付けておりません
一 学校・園・グループは代表者の方が必ず下見を行っていただきます
一 入館は無料です


民具供養館












・・

歴史館





展示館


往生院六萬寺 住職の紹介

2001年01月03日 | 往生院六萬寺 縁起
住職の紹介

住職

川口哲秀(かわぐち・てつしゅう) 

昭和21年東大阪生まれ

岐阜伊深・正眼寺僧堂にて、梶浦逸外老師・谷耕月老師に師事。

郷土歴史研究、楠木正行公研究、民具研究にも従事。

「描かれた農事風景の世界」・「民具歳時記」など論著多数。

地域社会活動に力を入れて25年。民具館の社会見学の受け入れや、地域保育園・小学校の教育発展、地域郷土のために様々に貢献している。

社会見学の児童・園児を含めて、民具供養館の入館者数は既に延べ10万人を超えている。

環境問題にも関心が高く、エコ民具の紹介など昔の民具を通じて、環境保護の大切さも伝えている。

河内の郷土文化サークルセンター会長などを歴任。東大阪地球温暖化対策地域協議会、大阪府文化財愛護推進委員会などにおいても活動している。


往生院六萬寺 楠木正行公について

2001年01月02日 | 往生院六萬寺 縁起
楠木正行公について

※ご墓所へのお参りにつきましては、管理の関係上、必ず事前に寺務所へとお問い合わせ下さいませ。場合により、ご案内できないことがあります。

・・

楠木正行は正成の長男として、正中元年(1324)、河内に生まれます。

幼少の時を往生院などで学問を学び、武芸を磨きました。

その頃、南北朝の抗争が激しく、千早赤坂城などで活躍していた父、正成は九州より足利尊氏が勢力を盛り返し、都へ攻め上がるとの報を聞き、子・正行と最後の別れをします。


※桜井の宿・・東大阪市六万寺周辺の桜井郷という説と摂津の桜井という説があります。

時は1336年。新田義貞とともに湊川の戦いにおいて、正成は足利尊氏と戦い、壮絶な戦死を遂げました。

その後、正行は楠木一族の頭領として南河内を中心に活躍します。

湊川の戦いで勝利した足利方は、着々と幕府の基礎を固めつつありましたが、南朝方の動きを常に気にし、楠木一族の河内での活躍に、いつ決戦を挑むか機会を窺っていました。

そして、正平2年(1347)12月26日、いよいよ南朝討伐の兵を尊氏は挙げます。

足利方は高師直・師泰を中心とした兵6万の大軍をもって京都を出発し、淀・八幡に着きます。この報を聞いて、正行は27日、吉野の皇居に馳せ参じ、後村上天皇に拝謁しました。


※この時、帝はめったに上げることのない御簾を上げて正行に声をかけられた。

くしくも、父・正成が、湊川の戦いへ赴く前に後醍醐天皇に拝謁し、決死の覚悟で戦いに望んだのと一緒であった。親子二代・南朝方天皇陛下に忠義忠誠を尽くし、南朝方のために散る覚悟だったに違いない。後村上帝は「父と同じ道は歩んではならぬ、無理はせずに生きて帰るように」と正行に告げたが、もはや心の中では帝のために玉砕を覚悟していた。


※戸板に書かれた和歌は如意輪寺に納められている。

「かえらじと かねて思えば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」

と辞世の歌を残して、河内へと出陣しました。



正平3年(1348)1月2日、幼少期を過ごした往生院に本陣を置き、5日早朝、凍てつく中を正行は3千の兵を率いて、東高野街道から押し寄せる数万の高師直・師泰軍を目指して激しく戦いを挑みました。劣勢は明らかながら、忠義忠誠に燃えた兵たちはひるむことなく猛然と戦いました。



その日、四條縄手の戦いにおいて、30余度戦いの末、ついに刀折れ、矢尽き、もはやこれまでと敵の手にはかかるまいと弟・正時と刺し違えて亡くなりました。まだ僅か25歳の青年でした。

四條縄手の合戦により、往生院の伽藍も兵火に焼け落ちてしまいました。


※四條縄手・・東大阪・東部の四条・縄手地区周辺との説と今の四条畷市周辺との説が分かれている。

正行公の亡がらは黙庵和尚により往生院の境内にひっそりと埋葬(胴塚)されたと伝えられています。





※お墓は全国に六ヶ所ほど伝わっており、往生院境内(胴塚)・額田首塚(東大阪市山手町)・宝匡院首塚(京都府嵯峨野)・正行寺首塚(宇治市六地蔵附近)・四条畷墓所(四条畷雁屋南町)・甑島墓所(鹿児島県西)など様々に伝わっている。南北朝歴史研究家の間では非常に興味深く議論されている。

(往生院における考察は、大日本史・太平記・拾遺・吉野拾遺・和漢三才図会・日本名勝地誌・河内名所図会・大阪府史蹟名勝天然記念物・群志・その他多数文献に基づいて記述しております。)

史実に限らず楠公さんの果たした志を考え、御供養を続けていくことが何より大切であると存じます。毎月5日は墓前供養・1月5日は祥月命日供養をお勤めさせていただいております。

※ご墓所へのお参りにつきましては、管理の関係上、必ず事前に寺務所へとお問い合わせ下さいませ。場合により、ご案内できないことがあります。

作成・副住職


http://ja.wikipedia.org/wiki/楠木正行
※Wikipediaの編集には中立の観点から一切関わっておりません。