奥山舎 オウザンシャ

寺内はキリスト教とCharles Dickensの独立研究者。専門分野だけでなく広く社会問題に関心があります。

#イスラエル考3 聖書とコーランと

2023年11月21日 | 日記
 聖書にもコーランにも不寛容の記述がある。
 聖書を言えば、敵を「撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。」(申命記7:2)、「人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。」(レビ記24:19-20)
 コーランを言えば、「これ、汝ら、信者の者、ユダヤ人やキリスト教徒を仲間にするでないぞ」(第5章85節)、「聖典を頂戴した身でありながら真理(まこと)の宗教を信奉もせぬ、そういう人々に対しては、先方が進んで貢税を差出し、平身低頭して来るまで、あくまで戦い続けるがよい。」(第9章29-35節)(井筒俊彦訳『コーラン』岩波文庫、1987、上巻、155、254-56頁)。
 ハマスのイスラエル攻撃、イスラエルのハマス反撃に、これらの不寛容思想が相互に機能しているかどうかは分からないが、聖書もコーランも、それぞれがよって立つ聖典である以上、無関係とはいえないのかもしれない。
聖書の律法(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は、モーセがシナイ山で神から授かった掟(ただし、創世記にはモーセは登場しない)である。
 他方、イスラム教の創始者ムハンマド(マホメット)は、西暦610年頃、天使ガブリエルを介して全知全能の唯一神アッラーの啓示をうけて預言者を自覚し、「アッラーのほかに神なし」としてイスラム教を創始した。イスラム教の聖典「コーラン」はムハンマドの教えを記述したもので、彼の死後に出版されたものである。
 イスラム教ではムハンマドの上位に5人の偉大な預言者、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエスを置く。聖書の記述によれば、これら5人の預言者はすべて天地万物創造の全能神に連なっている。
 創世記によれば、「神」が、「土(アダマ)の塵(ちり)で人(アダム)を形づくり」、その「人」を「東の方のエデン」の「園」に「置」いた。つぎに「人」から「あばら骨」を「抜き取」って「女を造り」、「人のところへ連れて」行くと、「アダムは女をエバ(命)と名付けた。」エバは、「神」の造物なる野生物中で最賢の「蛇」の甘言に乗せられ、「神」の禁じた「善悪の知識の木」の「果実」を食べ、アダムも食べ、その罪ゆえに楽園「追放」にあった(創1・27-3・24)。
 その「アダム」が「妻エバを知」り、「エバは長男カインを産み」(創4・1)、次いで次男「アベル」(創4・2)を、そして3男「セト」を得る(創4・25)。長兄カインは、弟アベルへの神の愛をねたみ、アベルを「殺」す(創4・1-8)。カインはその罪のために主から譴責されるが庇護もされる。のちにカインは長男エノクを得、自分が「建てていた」町を、その子にちなんで「エノク」と「名付け」、カイン家6代がつづくなかで文明が始まる(創4・9-22;聖書フラ13注7参照)。3男セトはエノシュを授かり、「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」で創世記4章は終わる。
創世記5章はアダムの3男セトの系図で、セトから数えて9代下にノアが現れ(創5・1-29)、ノアが500歳のとき、3男児セム、ハム、ヤフェトを得る(創5・32)。
 創世記7章は洪水である。神は、「地上」に人が「増え」、「悪」が蔓延する様をみて、「人」を、そして「家畜も這うものも空の鳥」も「造ったことを後悔」し、「無垢」なノアを除いて「すべて」を「滅ぼす」ことを決め、ノアに「箱舟」の建造を命じる。ノアは神の指示に従い、妻と、3男児夫妻と、「清い動物をすべて7つがい」と、「清くない動物をすべて1つがい」と、「空の鳥」の「7つがい」とともに「箱舟」に「入」る。
ノア600歳のとき「洪水」が起こる。神は大雨を四十日間降らせ、「百五十日の間」水勢は引かない。
 創世記8章は水勢の衰えと下船である。ノア「六百一歳」のとき「水は乾」き、ノア一家とすべての生き物は「神」の指示で下船する。9章で、「ノアの息子、セム、ハム、ヤフェト」の「三人」から「全世界の人々」が「出」た、と(創9・18-9)。
 創世記は「神」を「天地万物」創造の「全能の神」と規定するが(創2:1、17:1)、神の実態はイスラエルの守護神、民族神に過ぎないと、わたしは拙著『キリスト教の発生』で繰り返し述べている。
 アラビア・メッカ生まれの商人ムハンマド(マホメット)(570年頃-632年)はユダヤ教とキリスト教の影響を受けつつ西暦610年頃、天使ガブリエル(下線部は下記「注記」を参照せよ。以下同)を介して全知全能の唯一神アッラーの啓示をうけて預言者を自覚し、「アッラーのほかに神なし」とするイスラム(教)を創始した。イスラム教では、創世記の「神」が生み出した5人、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエスをムハンマドの上位に位置づける。
聖書もコーランも古代人の空想に依拠している。イスラエルもハマスも、聖典と信じる書の本質を見極めるべきであろう。我々は古代人の空想から脱して、人間みなきょうだいの観点から、新しい歴史を創造すべきであろう。

注記、天使ガブリエルは「ルカによる福音書」1:19に、「天使は答えた。『わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。』」とある。
注記。アブラハムは、ノアの長男セムの子孫で、セムから数えて9代目、遊牧民テラの長男である(創11・11-26)。モーセは、アブラハムの孫ヤコブに3男レビがあり、レビのひ孫である。 イエスの系図は新約聖書の「マタイによる福音書」第1章と「ルカによる福音書」3章にある。ルカではイエスはアブラハムの子孫とあり、マタイでは父ヨセフに連なる先祖はアダムとある。

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#イスラエル考2 イスラム教の成立、エルサレム、シオニズム(ユダヤ人のエルサレム帰還)

2023年11月21日 | 日記
 アラビア・メッカ生まれの商人ムハンマド(マホメット)(570頃-632)はユダヤ教とキリスト教の影響を受けつつ610年頃、天使ガブリエルを介して全知全能の唯一神アッラーの啓示をうけて預言者を自覚し、「アッラーのほかに神なし」とするイスラム(教)を創始した。ムハンマドはイスラムの預言者のひとりで、アッラーの教説を最も正しく説いた人とされている。イスラムではムハンマドの上位に5人の偉大な預言者がいるとされ、その5人とはアダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエスである。これらの5大預言者はユダヤ教とキリスト教とに重なり合っているから、3つの宗教は共に縁戚関係にあるようなものであるが、現実は、どの宗教も、わが神こそ唯一、と主張する。故に、これらの宗教はすべて、発生の時点から不寛容を特徴としていると言えるし、現実にそのようであったのだ。
 今日、3者の関係をいっそうむずかしくしているのがエルサレム問題であり、3者はともに、エルサレムはわが聖地、と互いに主張しあっている。
ユダヤ教はソロモン王の時代から西暦70年までの間、ここに神殿を築いていたし、イエスは神殿の商業行為に立腹して宮清め(マタ21.12-13ナド)を行っているし、イエスの弟子たちはイエス死後ここに日参している。
 イスラム教がエルサレムを聖地とする根拠は、ここがムハンマドの昇天地と見なすからである。ムハンマドは632年に、エルサレム旧市街の、約1キロ四方の城壁に囲まれた神殿の丘(ハラム・シャリーフ)にある巨岩から昇天したとされている。
 他方、この巨岩は、旧約聖書によれば、アブラハムが一人息子イサクを神のいけにえに捧げようとした場所であって(創22章)、ユダヤ教とキリスト教にとっては、イスラム教以前の聖地ということになる。
 エルサレム史をひもとけば、ここは636年にアラブの支配に落ちている。このときイスラム教徒はエルサレム神殿跡に、メッカ、メディナに次ぐ聖なるモスク、アルアクサ・モスクを建立している)。さらに691年、イスラム教徒のウマイヤ朝時代(661~749年)に巨岩をおおう形で「岩のドーム」と呼ばれるモスクを創建し、修復を重ねて今日に至っている。
 1038年、イスラム教徒のセルジューク朝(1038~1157年)が中央アジアでおこり、のちに小アジアに進出して1071年にエルサレムを占領した。この占領で、キリスト教徒によるエルサレム巡礼が困難となったことから、キリスト教徒は1096年に十字軍を派遣し、1099年にエルサレム王国を建国したが、この王国は1291年、イスラム教徒の軍隊マムルークに壊滅させられ、以後マムルーク朝が1516年まで支配し、その後にイスラム教徒のオスマン・トルコ帝国が1917年まで統治している。
 ユダヤ人にとっては、エルサレムは聖地であるだけでなく、パレスチナは父祖の地であり、神から授かったと信じる「乳と密の流れる土地」である。このパレスチナへ、ユダヤ人は1897年に復帰運動(シオニズム、シオンへの帰還)(イザヤ書51章、エレミヤ書3:14)を起こすが、1922年にイギリスがパレスチナの委任統治に入るや、ユダヤ人、アラブ諸国、イギリスの3者間で対立抗争が激化するのである。そんなとき、第二次世界大戦(1939~45年)が勃発して欧州在住のユダヤ人600万人が虐殺されるという悲劇がおこり、シオニズムを加速させ、大戦後の1948年、ユダヤ人はパレスチナでイスラエル共和国の独立を宣言している。これによってユダヤ人は、西暦135年に祖国を失って以来およそ1800年間世界を流浪し、ついに建国にこぎつけたということになるのだが、この建国は、パレスチナ人からすれば迷惑な話で、70万人の難民を出すことになったのである。今日(2002年現在)ではその数は、自然増もあって370万人に達している(以上、出典:寺内孝著『神の成長』アポロン社、2002、273-75頁)。

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