GooBlog編_おはら野のブログ

_この世は猫のみる夢_

2018.4.7|相撲、相撲協会。「日本」から他のものを排した純なもの、そんなものはない。

2018年04月07日 | ⑴狂信的な意志が動員される身体《暴力と差別・排外の愛国=掠・姦・殺》
2018.4.7|「日本」から他のものを排した純なもの、そんなものはない。

  各地にあった女相撲を排撃し、潰していったのは、相撲。見世物、興行、遊興から「品格」を求め清めの展覧試合をこしらえていった。「日本的」な格付けに、展覧相撲を作った明治期の相撲。女性を排斥するのは、歌舞伎がそうであるように当時の人々に分かりやすかったから。
  明治期につくり上げた狂信的な「神話」は天皇教と親和性が高かった。過去にさかのぼるまでもない。「日本」から他のものを排した純なものそんなものはない。過去の歴史になかった「純な日本」を求める心は、排他的な、狂信的な今の心の表れじゃないか。
  それに付き合う義務などない。かれらはつぎつぎとないものを生み出していく。






  久しぶりに(入院中)ケータイを眺めていた。《下書き》に次のような文が残っていた。

  鶴田浩二でも高倉健でも、百田でも、彼らの言う日本的なもの大和心、日本とは、「日本」から他のものを排した純なもの。
  そんなものは歴史上あったことはなく「かつて正しく統治治世された時代」への、観念的、理論的な退行だろう。
  たとえば、「ふるさと」から他のものを排した純な「ふるさと」。


  メールのための下書きなら、2015年ころのもの。メモ帳かわりに「下書き」したとしてもその頃のものだろう。ないものを在ったかの如く振る舞うこと、ファナテック狂信的と呼んでもおかしくはないだろう。

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