#000000">LiveDoorブログ『BLOG編_おはら野農園日誌』に移行しました
新しいページ→http://owarano51.livedoor.blog/archives/11255676.html
新しいページ→http://owarano51.livedoor.blog/archives/11255676.html
午前10:07 · 2019年3月9日
サイダーハウス・ルール 上下/ジョン・アーヴィング著・真野明裕訳/7文芸春秋1987 /長浜/滋賀ほか
(同/文春文庫1996 //滋賀ほか )
大部な本なので、映画をDVDレンタルで観ればよいと思う。米空軍の輸送機で現地に向かう途中で撃墜され大けがを負い車いす歩行になる青年のエピソードが挿入されている。
この本『遠藤美幸|「戦場体験」を受け継ぐということ』は、210.75日本史/昭和・平成時代、または、916文学/記録・手記・ルポルタージュに分類されたりしてる。
映画|サイダーハウス・ルール
劇場公開日 2000年7月1日 映画com:紹介 https://eiga.com/movie/1830/
by龍隆2019.9.15
午後8:15 · 2019年7月9日
世界1019年8月号 /長浜・高月/滋賀ほか
特集記事 変調をきたす「戦友会」
戦友会狂詩曲ラプソディ おじいさんと若者たちの日々(遠藤美幸)
午前11:43 · 2019年9月19日
2015年8月15日 産経新聞/・2015年8月23日 神奈川新聞書評欄
「戦場体験」を受け継ぐということ
ビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩いて/遠藤美幸/高文研2014.10
by龍隆2019.9.19
軍人のウォリーは戦地へ召集され、、、負傷し、、←ビルマから山地を越え中国昆明の蒋介石・国民軍に物資を空輸する部隊へ。↑これがテーマじゃないけどね、思い出したので。ゆっくり観る映画ですね。サイダーハウス・ルール劇場公開日 2000年7月1日https://t.co/LBsby8er6F☆ pic.twitter.com/h1nj9IfUWf
— 龍 隆たつ たかし-おはら野国 (@owarano1951) March 9, 2019
サイダーハウス・ルール 上下/ジョン・アーヴィング著・真野明裕訳/7文芸春秋1987 /長浜/滋賀ほか
(同/文春文庫1996 //滋賀ほか )
大部な本なので、映画をDVDレンタルで観ればよいと思う。米空軍の輸送機で現地に向かう途中で撃墜され大けがを負い車いす歩行になる青年のエピソードが挿入されている。
この本『遠藤美幸|「戦場体験」を受け継ぐということ』は、210.75日本史/昭和・平成時代、または、916文学/記録・手記・ルポルタージュに分類されたりしてる。
映画|サイダーハウス・ルール
劇場公開日 2000年7月1日 映画com:紹介 https://eiga.com/movie/1830/
by龍隆2019.9.15
午後8:15 · 2019年7月9日
世界1019年8月号 /長浜・高月/滋賀ほか
特集記事 変調をきたす「戦友会」
戦友会狂詩曲ラプソディ おじいさんと若者たちの日々(遠藤美幸)
続き岩波「世界」8月号で新連載の 2本もなかなか面白い慰安婦がいた時代 新資料とともに改めてたどる(佐藤純)1 異論 流れ止められず戦友会ラプソディ おじいさんと若者たちの日々(遠藤美幸)1 変調をきたす「戦友会」*新資料が語る日本軍毒ガス戦 と合わせて850円ね pic.twitter.com/o3U647Sgc8
— BARANEKO (@BARANEKO0409) July 9, 2019
午前11:43 · 2019年9月19日
2015年8月15日 産経新聞/・2015年8月23日 神奈川新聞書評欄
「戦場体験」を受け継ぐということ
ビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩いて/遠藤美幸/高文研2014.10
2015年8月15日 産経新聞/・2015年8月23日 神奈川新聞書評欄「戦場体験」を受け継ぐということビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩いて/遠藤美幸/高文研2014.10https://t.co/QwrY8tRjNd
— 龍 隆たつ たかし-おはら野国 (@owarano1951) September 19, 2019
by龍隆2019.9.19
「戦場体験」を受け継ぐということ_ビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩いて/遠藤美幸|高文研2014.10
/長浜/滋賀ほか
高文研:紹介 http://www.koubunken.co.jp/book/b202021.html
「ビルマルート」を遮断するため、1942年5月、日本軍は中国雲南省西部の軍事拠点・拉孟(らもう)に陣地を築き、1300人の守備隊を配備した。しかし100日にわたる死闘の末、拉孟守備隊は全滅した。その拉孟全滅戦の実相が、奇跡的に生き残った将兵の証言により明らかにされる。
1941年12月8日のハワイ真珠湾とマレー半島への奇襲攻撃から半年たらずで、日本軍はマレー半島を席巻してシンガポールを、次いでスマトラ、ジャワ島、あわせてフィリピンを占領、翌42年5月にはビルマ(現ミャンマー)全土を制覇した。
一方で、蒋介石の率いる中国国民政府は、日本軍により首都・南京を追われ、奥地の重慶に本拠を移した。その国民政府を支援するため、米英両国は「援蒋(えんしょう)ルート」を通じて軍需物資を送った。その最大のルートが、ビルマのラングーン(現ヤンゴン)から北上して中部マンダレー、ラシオを通り、中国国境を越えて雲南省に入り、昆こんめい明に至る「ビルマルート」であった。
その「ビルマルート」を遮断するため、四二年5月、日本軍は中国雲南省西部の軍事拠点・拉孟(らもう)に陣地を築き、1300人の守備隊を配備した。しかしほどなく太平洋戦線での米軍の反攻が開始され、日本軍は後退を余儀なくされる。
そうしたなか、44年6月、米中連合軍は新たな「ビルマルート」の奪回作戦を開始、中国軍4万人が拉孟陣地を包囲する。100日にわたる死闘の末、9月7日、拉孟守備隊は全滅した。その拉孟全滅戦の実相が、奇跡的に生き残った将兵の証言により、ここに初めて明らかにされる。
本書は、その将兵と“奇縁”によって結ばれた戦後世代の女性研究者による記録である。
【編集者より】
この本の特徴は大きく分けて2つあります。
一つ目は、戦記であり、アジア太平洋戦争におけるビルマ・雲南戦線について、生存者の聞き取り、連合軍側の資料を探索してつき合わせた研究書です。
二つ目は、著者のユニークな経歴です。著者は日本女子大学在学中に日本航空の客室乗務員の入社試験(倍率は60倍!)を受けて合格、1982~88年、国内外の空を飛び回りました。
著者が在籍した当時の日航は、日本政府が大株主の半官半民の航空会社であり、職場環境や人間関係を悪化させる「暗黒の労務政策」が吹き荒れていましたた。著者は、入社2年目で労使協調路線の全労組合(第二組合)を脱退して客乗組合(第一組合)に移ったことで、経営側の逆鱗に触れ、徹底的な差別・虐めを受けました。そして、85年、日本航空は航空史上最悪の御巣鷹山ジャンボ機墜落事故を引き起こします。著者は御用組合優遇の労務政策をとり続ける日航に見切りをつけ、資本主義の本家本元のイギリスの、19世紀における労働運動史を研究すべく、日本女子大学に戻りました。
この経験が、その後の「拉孟全滅戦」の研究の支えとなりました。
本書は、さまざまな人との出会いに支えられながら、粘り強く、研究の道のりを歩き続けてきた女性研究者の執念の記録として、多くの読者に読んでいただきたいと思っています。
1941年12月8日のハワイ真珠湾とマレー半島への奇襲攻撃から半年たらずで、日本軍はマレー半島を席巻してシンガポールを、次いでスマトラ、ジャワ島、あわせてフィリピンを占領、翌42年5月にはビルマ(現ミャンマー)全土を制覇した。
一方で、蒋介石の率いる中国国民政府は、日本軍により首都・南京を追われ、奥地の重慶に本拠を移した。その国民政府を支援するため、米英両国は「援蒋(えんしょう)ルート」を通じて軍需物資を送った。その最大のルートが、ビルマのラングーン(現ヤンゴン)から北上して中部マンダレー、ラシオを通り、中国国境を越えて雲南省に入り、昆こんめい明に至る「ビルマルート」であった。
その「ビルマルート」を遮断するため、四二年5月、日本軍は中国雲南省西部の軍事拠点・拉孟(らもう)に陣地を築き、1300人の守備隊を配備した。しかしほどなく太平洋戦線での米軍の反攻が開始され、日本軍は後退を余儀なくされる。
そうしたなか、44年6月、米中連合軍は新たな「ビルマルート」の奪回作戦を開始、中国軍4万人が拉孟陣地を包囲する。100日にわたる死闘の末、9月7日、拉孟守備隊は全滅した。その拉孟全滅戦の実相が、奇跡的に生き残った将兵の証言により、ここに初めて明らかにされる。
本書は、その将兵と“奇縁”によって結ばれた戦後世代の女性研究者による記録である。
【編集者より】
この本の特徴は大きく分けて2つあります。
一つ目は、戦記であり、アジア太平洋戦争におけるビルマ・雲南戦線について、生存者の聞き取り、連合軍側の資料を探索してつき合わせた研究書です。
二つ目は、著者のユニークな経歴です。著者は日本女子大学在学中に日本航空の客室乗務員の入社試験(倍率は60倍!)を受けて合格、1982~88年、国内外の空を飛び回りました。
著者が在籍した当時の日航は、日本政府が大株主の半官半民の航空会社であり、職場環境や人間関係を悪化させる「暗黒の労務政策」が吹き荒れていましたた。著者は、入社2年目で労使協調路線の全労組合(第二組合)を脱退して客乗組合(第一組合)に移ったことで、経営側の逆鱗に触れ、徹底的な差別・虐めを受けました。そして、85年、日本航空は航空史上最悪の御巣鷹山ジャンボ機墜落事故を引き起こします。著者は御用組合優遇の労務政策をとり続ける日航に見切りをつけ、資本主義の本家本元のイギリスの、19世紀における労働運動史を研究すべく、日本女子大学に戻りました。
この経験が、その後の「拉孟全滅戦」の研究の支えとなりました。
本書は、さまざまな人との出会いに支えられながら、粘り強く、研究の道のりを歩き続けてきた女性研究者の執念の記録として、多くの読者に読んでいただきたいと思っています。
長浜市立長浜図書館は新築移転中のため「検索」できません(2019年12月1日まで)。
** ここより下は本文記事ではありません(#ハッシュタグの表示とクリックして応援を除いて) **