島田明徳氏による「病」の意味 という本を、改めて読み直してみました。
この本は1994年に出版されたもので、その頃に買って読んでいますが、あれから何十年たった今また改めて読んでみると、あの当時とは違った感覚で、深く理解できるような気がしました。
島田明徳氏は、自然の法則と調和した心身を作ることを目的とする、陳式太極拳と合気道をベースにした、練気柔真法(れんきじゅうしんほう)の創始者。
私の生き方や考え方に、大きな影響を与えた人物のひとりです。
島田氏によると、
病気とは、自然との不調和によって生じるもの、すなわち、自然との不調和を知らせる警告であるということになります。病気という警告を正しく受け止め、自然の法則から離れてしまっている自分を軌道修正していくことが大切なのです。
病気とは、私達が自然との不調和を正していくための道標なのですから・・・・。
このように書かれています。
これは、病気に限ったことではないと思いますね。対人トラブルにしても金銭トラブルにしても、自分にとってなんらかの不都合は、すべて自然との不調和によるものだと強く実感します。
では、自然と調和するとはどういうことか?
なぜ人は、自然の法則から離れてしまうのか!? という疑問が湧きますね。
それは、自覚できる自分がすべてだと思ってしまうことにより、自然との不調和が生じてしまう、というわけです。
自覚できる自分以外にも、もっと大きな自分はいます。
心臓をはじめとし、内臓を動かしているのは、自分であって自覚できる自分ではありません。夜眠っている間にみている夢も、自覚してる自分が想像して見ているものではありませんよね。
自分自身をコントロールできる部分は、自覚できる自分ではなく、むしろ無自覚の自分の方がずっと範囲は大きく、命に関わることまで担っているのです。
島田氏は、この自覚できる自分と、無自覚な自分について、「海と波」を例に説明されています。
自覚できる自分が波だとすれば、無自覚な自分は海。波(自覚)が波だけでは存在できないことを正しく理解して、海(無自覚な働き)が自分を表現させていること、すなわち【法則】があって自分はこの世にいる、ということを正しく理解しなくてはいけません。
無自覚な自分の存在に意識を向けるためには、自覚できる自分を静める必要があるようです。そのためには、ゆっくり休養を取って、自分の心や身体と向き合う時間を作ることは必要でしょう。座禅や瞑想などが取り入れられると、さらに効果は大きいはず。
でも、
「今の自分には、そんな悠長なことを言ってられない!」
自覚できる自分は、今でも時折、そんな風に思ってしまいます。
島田氏は学習の大切さも、伝えています。
うまくいかなくても、ずっと考え続けていけば、理解は 心や身体の方にまで浸透してくることは期待できると思うのです。
感じることと考えること、私はこのふたつをバランスよく取り入れていこうと思っています。
島田明徳氏の考えや、私の感想に関しては、また別の機会に紹介していきたいと考えています。