最愛の母親が96歳で亡くなってから、今月で1年経ちました。
亡くなってからしばらくの間は、大きな喪失感はありましたが、その後もずっと毎日仏壇に手を合わせ、日々語りかけているせいか、今ではまた一緒に暮らしているような、そんな感覚が根付いてきています。
うちはお寺にお墓があり、両親もそこに眠って?いるわけですが、自分自身が仏教徒であるという意識は全くありません。
そもそも仏教に関しては詳しくはないですが、仏教がイメージするあの世の世界と、私がイメージする死後の世界は違い過ぎて受け入れ難いのです。
ただ、禅の考え方には以前から多少興味がありました。
うちがたまたま禅宗だったことと、目に見えないところで、なにか関連があるのかもしれませんが。
他の宗教を信仰しているわけでもなく、無神論者といえば、そう言えなくもないです。
でも、毎朝マリア像に祈る習慣はありますし、十字架のペンダントや天使に関する物もたくさん持っています。
私には私なりにイメージできる死後の世界というか、死後の次元があり、それを信じることで生きる力が湧き、亡くなった愛する家族ともしっかりつながっている、という安心感が得られています。
日本人の多くは、私の見たところたぶん強い信仰心を持っている人は少なく、死後の世界を信じている人も少ないことと思います。
私の周りでは祈りを日常に取り入れている人というのも、ほとんど見かけません。
それでも、初詣には大勢の人たちが参拝し、お墓や仏壇の前では、亡くなった人に語りかけをしているのは、どのような気持ちからなのかな、と不思議に思ったりもします。
たぶん多くの人達は、神様にしても死後の世界にしても、100%は信じられなくても、100%否定はできない、という曖昧な所に位置していて、その時々で使い分けしているのかもしれませんね。
参拝するような場所を前にしたり、亡くなった人を思い出すような場所に出向いた時には、信じる方向にパーセンテージがググッ!と上がるのかもしれない。
私は常に信じる方向に大きく針が振れている人ですが、どちらでもなく普段はニュートラルな人が多いというのも、今の時代においては、自然な状態なのかもしれないなぁ、なんて私には思えました。