parismaris's days*

停電より復旧しました

昨日、停電より復旧しました。

ご心配くださったみなさま、濃やかなお心遣いをありがとうございました。






丸三日間の停電でした。
驚くほど長くて、この上なく不自由で、とても不安な日々でした。


家が揺れ、雨戸のない部屋のペアガラスが割れるのではないかと思うほどの暴風雨だった台風。

それが過ぎて行き、小さく広がった青空のもとで庭の点検や掃除を終えた昼過ぎに、短い停電。
そののちすぐに再びの停電となりました。

これが丸三日間にわたる停電の始まりです。


それでも、これまで数時間以上停電することはなかっただけに特に焦ることもなく、蒸し暑さに閉口しつつも「そのうち点くだろう」と淡々と過ごしていました。

…その証拠が、この夕焼けの写真。
台風が去ったばかりの空があまりにも鮮やかに燃えたもので、感動して呑気にこんな写真を撮るほどに(けれど電気のない夜を迎える準備もしつつ)、悠長に構えていました。






配達された新聞の夕刊や、ネットのニュースで、このたびの停電が恐ろしく大規模なものだと知りました。

それからは、限りある充電池の消耗を防ぎながらあらゆる機器を活用して情報を集めたり、外に出てご近所さんたちと情報交換したり。

さらには電力会社が数時間ごとに発表する府県ごとの停電軒数とその解消軒数を唯一の目安にしつつ、「この停電は自然災害がもたらしたものなんだし、電力会社も頑張ってくれてるんだから」という思いでひたすら復旧を待ち続けた、停電当日と翌一日目。



水道とガスはいつもどおりに使えたので、創意工夫をこらしながら、お陽さまの光と懐中電灯の灯りを頼りに生活した二日目。

この頃には既に冷凍冷蔵庫の冷蔵庫は常温と化し、冷凍庫のものもほぼ全解凍。

常温でも比較的もつ野菜類はそのままに、傷みやすい生の肉や魚を加熱して、できる限りの無駄を出さぬように、そして一日でも長く食材をもたせるために料理をしまくりました。

そして保冷剤でそれらを保ちつつ、強制的に豪華な食事(苦笑)をした毎日でした。
(ちょうど泊まりの来客を控えていて、よい食材を揃えたばかりだったということもあって、日々の三食がまるで誕生日パーティーのような食卓でした……ゲッソリ)


この日に、電力会社幹部が記者会見で「7日を目途に停電解消を目指す」と発表したとの情報がネットニュースで流れたので、「あと一日頑張れば何とかなるね」と励まし合いながら二日目を終えました。



――そして三日目。

暑さで日の出とともに起床せざるを得ない朝から(同じ理由で当然眠りもとても浅いし)、私も家族も既に疲労困憊でした。

躰が疲れていているというよりは、気持ちがヘトヘト。

日没とともにほぼ何もできなくなる生活リズムに(いくつ懐中電灯やランタンがあっても、夜の闇の暗さからはそう簡単には逃れられないのだと思い知りました)心と躰とが慣れず、心身のバランスを崩しかけていました。

でも、「今日は7日だし、今日こそは停電から復旧するんだろう!」という希望のもと、できる限り規則正しい生活をと心がけていました。


…が。

その数時間前、日付が変わった直後に、電力会社が発表するデータの形式を変えていて。
現時点で停電が続いているより詳細な地区名までわかるようになり(このときまで府県名だけだったのが、市町村名や地区名までも明示されるようになった)、その詳しい情報をありがたく思いつつ、目を皿のようにして確認すると…

その中に、私の居住する地区の名前はありませんでした。


目を疑うとは、まさにこのこと。

新しくできたばかりの地区ではないし、住宅地なので一戸建てばかり何十軒もある。
すぐ近くには、停電休校中の公立高校も。

どうやったらこの小さな市のなかで、この地区だけが漏れるのかが全く理解できませんでした。


そこからが大変で。
ご近所さんたちと手分けして市役所に連絡してみたり(市役所からは停電直後から「役所にはどうにもできない電気のことなので、連絡は直接電力会社へ」とアナウンスされていたので、ずっと遠慮していたのです。 けれどどうにもならなくて連絡しました。 翌日が公的機関がお休みになる土曜日だったから余計に焦りました…)、電力会社へのほんの少しも繋がらない専用ダイヤルに電話し続けたり。(スマホの外付け充電池もほとんどなくなっているというのに!)

さらには台風や停電被害のなかった隣県の家族のちからをも借りて、動きました。


今日このときまで「電力会社も突貫で頑張ってくれている」と黙って耐えていた私たちも、さすがに「ここにも停電して困ってる人間がいるのよ!」と声を上げずにはいられませんでした。

そうこうしているうちに、わが市で停電しているのはわが家から遠い地区の1箇所のみ、というデータに変わり、「このままではわが市の停電はすべて解消したことにされてしまう!」との焦燥感でいっぱいになりました。


人生で初めて『存在を忘れられた不安』を感じました。

すごくすごく怖かった。
「どうして?! 私たちはここにいるのに!!」って、本気で心で叫びました。

問題が電気なだけに、私たち市井の民にできることは何もないから。
「ここも停電してるよ!」ってただ伝えたいだけなのに、唯一の連絡先である電力会社の電話には、ほんの一瞬でさえも繋がらないし。
途方に暮れつつ、強い絶望感にも襲われました。



――そんなふうに私たちが声を上げてから2時間ほどで市の対応が始まり、同時に電力会社が動き出したことも知りました。
そして半日と待たずに復旧。

…どの『声』が功を奏したのかはわかりません。
もしかしたらたまたまこのタイミングだったのかも。(この確率はとても低いだろうけど)

けれど、市の広報車がこの地区の事態が収束に向かっていることを告げたちょうど同じタイミングで、電力会社が電話以外の連絡方法(公式サイトからのメールフォーム)の開設を告知したのは、どういうことだったのでしょう。


結果的には、一度の台風であまりにも大規模な停電が同時に発生したために、電力会社の停電地域を自動集計するコンピューターが許容量オーバーとなって使いものにならなくなり、集計から漏れる地域や地区が出たことが原因のようです。

…それは理解できる。
あんなにも強い台風に襲われたのは初めてだったから、そういうこともあるでしょう。
それは仕方ない。

でもでもでも!
もっと細やかな事後の対応ができたんじゃないかな、とも思います。


市にしても電力会社にしても、対応が後手後手に回った感は否めません。

どちらも『事態の収束を見守ることをせずに、先んじてぎゃあぎゃあと声を上げた者勝ち』のような対応だったことも腑に落ちません。

みんながみんな、そんな慌て者ばかりではないのですよ。
混乱を巻き起こすことを避けて、あえて心落ち着けてじっと事の推移を見守っている者も、まだまだこの国には多いのです。

そんな『声なき声』を拾い上げる努力こそ、不測の事態には特に必要なことなのではないかしら。



停電が解消し、情報が入るにつれて、今回の台風や北海道の地震の爪痕の深さを思い知っています。

それに加えて、昨夜からは大雨も。
風はありませんが、大粒の雨が大量に降り続いています。


すべての被災地のみなさま。
どうかどうか、心身の安全を第一にお過ごしください。

心細さに押しつぶされそうになったときは、声に出して言ってみてください。
私も家族や、普段はほとんどお付き合いのないご近所さんがたと話すことで、ずいぶんと不安が心から出て行ったので、きっと効果はあると思います。



――長くなりました。

電気のない生活は、想像以上にサバイバルでした。
これを機に、もう少し防災意識を高めます。


停電前後にいただいていたコメントやお便りへのご返信は、先程させていただきました。
遅くなりましたが、どうぞご確認くださいませ。

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