a green hand

東日本大震災、原発放射線漏れから間も無く6年目



長年文通している友がいる。
関西の女性である。

社会学部卒業の彼女は、私より原発に対して怒っている。

もっと怒りなさい 、福島の人はおとなし過ぎる。
大阪のおばちゃんなら黙っていないという。

2011からずっと怒ってくれている。
こういう私憤ではなく公憤の「怒り」を持てる彼女を尊敬もし、信頼もしている。

もうすぐ3.11ですね、トランプや豊洲もいいけど福島をどうにかしないと…といつも怒っている。

福島の原発問題をテレビで報道したところで人気はない。
テレビは流行りが大事だ。

面白おかしく流行りを追うのが得意だと日本のマスメディアに対して私も感じている。

剥がれ落ちた堆積物を取り除く作業でロボットでも困難なほどの放射能。
我々はロボットではなく人間である。

四方を原発で囲まれている日本の危機感は、そこに住む人間には分からない。
分からないような人間が多いところに原発は誘致される。

大阪のおばちゃんのようだったら最初から原発など受け入れない。
そして大阪のようなお金のあるところには原発は無縁なのだ。

貧困であること、無知であるところが狙われて恐怖に晒されている。
いや、実際の話、原発で養われているのだ。

何を大事にして生きるのか、何を大事に政治は行われるのか、何をもって国益とするのか。
豊かさとはを考え直さないと…という気を起こさせる友人の手紙であった。
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