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a green hand

サポーターに近い包帯に変わった!

昨日から、左手を使い、リハビリも兼ねてキーボードを打ってみた。
親指だけが痛むが、できる。
打てるようになった。

日一日と回復していく左手君。

左手君に話しかけたあたりから頑張ってくれている。
不思議なことだ。
しかし、もう少し話しかけないと指は自分で曲がってくれないのである。
最終的に右と同じく曲げてグーの形にするには、手動で心臓に血をもどしてやるように
右手で抑えてあげなければならない。

曲がらなくてもイメージで曲がった感じを掴むという。

植物も動物も話しかけると反応があるという。
嘘みたいな話だが左手君はそれを証明してくれている。


もう一つの不思議な話。
先日の日曜日、息子がハルと同じ年齢の娘を連れて、洗車をしに来た。

私が、コーラスから帰り、リビングに行くと、夫が「Yちゃんも来てるよ」と言う。
3時間もの練習で疲れたので寝ようかと思って帰ってきたが、それを聞いて急いで外に出た。
息子と二人で話しながら洗車をしていた。

Yちゃんいらっしゃ~いというと、私に気づき駆け寄りハグ!

驚いたのは私。
まだ数回しか会っていないYちゃんなのに、昔から知っていたかのような
自然な形でお互いが抱きあったのである。
その後は私の部屋でピアノを弾いたり生まれてくる赤ちゃんの名前を考えたり・・。
母も実のひ孫のようにうれしそう。

YちゃんからK君の話やあーちゃんと呼んでいるYちゃんのおばあちゃんの話をたくさん聞かされた。
あーちゃんと私が似てるというのである。

Yちゃんは、不思議そうに、K君(息子をk君と呼んでいる)と同じところにホクロがあるのという。
それじゃ、大昔にK君に出会ってたんじゃない?というと、その不思議さに怖い~と言って笑うYちゃんだが、まんざらでもなさそうである。

ずっと過ぎて、その言葉を思い出していた。
もしかしたら私の子どもだったのでは・・?という思いが浮かんできた。

この世は、たくさんの不思議で満ちている。
人間の出会いにしてみたら、何かしらの意味があって人と人は出会い、繋がり、別れて行くのだという気がする。

意味のない出会いも別れもないのである。
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