「この物語は岡潔氏とその妻みち氏の人生を元に再構成したフィクションです」のことわりに冷静さを持たないとと言い聞かせた。
見終わって思うこと。
岡潔役の佐々木蔵之介、みち役の天野ゆうきの演技に感動した。
それから岡潔の著書に出てくる数名の名前や地名を記憶していたので「すがね」「秋月」「紀見峠」はすんなりと入ってきた。
「情緒」について岡潔が語るとき、きのみちゃんという孫のエピソードもよく出ていた。
すがねという名前は著書の中で見た時の違和感とともに記憶に残っていた。
岡潔の長女の名前できのみちゃんのお母さんである。
が、斎藤茂吉の春の歌の中から命名された経緯を初めて映画で知った。
「菅の根の長き春日をふみも読まず絵をかき居れば眠けくもなし」
伸びやかな成長を願って幸せな子にという思いが込められていたのだ。
「春」は、岡潔の最も好きな季節である。
そしてきのみちゃんは岡潔の実家、和歌山県の「きみとうなてから岡潔が名ずと聞いたことがある。
初孫のきのみちゃんは岡潔にとりどんなに可愛く観察の対象でもあったことだろう。
文化勲章を拝受以降、孫のきのみちゃんが生まれたあたりから幼稚園、小学校と成長するあたりの岡潔の著書に、私はとても関心が強かったと振り返る。
60代の岡潔が青少年の非行の多さから殊の外教育の大切さを説き出したのである。
それは岡潔の「情緒が最初に育つ」という世界観だ。
生後8ヶ月で順序数がわかり、18ヶ月で1がわかる。
32ヶ月以降から情緒が育ち一個の世界ができるとしている。
全てのものは情緒からスタートするので情緒を健全に育てることは数学にも必須なのだと説いている。
家庭環境の「愛」と「信頼」と「向上する意志」この3つは人の骨格を作るとし、その時期の心の持ちようが大切なんだと世の親たちに警鐘を鳴らし続けたのである。
岡潔は最も日本を愛していた。
それゆえに日本をダメにしてしまう教育や家庭環境に警鐘を鳴らし何度も何度も同じことを言い続けたのである。
いつのまにか映画の感想ではなくなっている。
録画し2度目に見た時に、私のおかしな構えが取れたのかすっかり演技者ではなく岡潔と岡みちに深く感じいっていた。
名を残した偉大な人の奥様は同じく偉大なのだとつくづく思うのである。
ノーベル賞とか文化勲章とか大きな賞を受ける方々に同伴する人の偉大さが深く実感できた。
あの時代、その道の先駆者である学者や芸術家と呼ばれる人々が日本の土壌で認められることがどんなに難しかったか。
世界に踏み出せるきっかけがあり、岡潔の数学の道が開けた。
それは奇跡に近いということがわかる。
フランス留学で得た世界の数学者との交流が後にどれほどの意味があったか、本物を求め続ける意志そのものが岡潔のいう「情緒」なのではあるまいか。
春に咲くすみれ、すみれはすみれとして懸命に咲く。
これが岡潔の情緒であると思う。
みち夫人が何度となく感じたであろう子どものような無邪気さ、本気度、集中力、喜怒哀楽守ってやらないとと思わせる年齢に留まった所で数学をしている。
その道の達人はある意味生涯子どものままなのかもしれない。
美しい人である。
そして春の柔らかな日差しであり、優しく降りそそぐ春の雨であったのがみちさんであると思えてならない。
先を行く、開拓する人々の道はいつの時代も茨の道である。
そういうたくさんの苦労の重なりの末に我々の「楽さ」があると思うと、見えないものへの感謝と畏敬の念が湧いてくる。
とても深さの感じられる映画であった。
一つの映画製作にあってさえ、どんな大変な苦労があっただろうと想像する。
一瞬にして画面から流れてしまう映画製作に携わった人々の名前の連なりにありがとうと言いたい。
昨日、3月1日は岡潔の命日。
大好きな春の日のスタートにこの世を去った。
1978年 76歳10ヶ月の人生であった。
同年、2ヶ月後の5月26日が妻みちさん74歳の命日、うらやましいご夫婦と思うがお子様達にとり、一度にご両親を2ヶ月の間に亡くされた悲しみも察せられる。
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