「なに笑ってんの」
「だってこの人、可笑しくって」
「笑い声、これぐらいでは許されない?」と夫に聞く私。
「いや………」という言葉を残して夫は一連の皿洗いに戻っていった。
今日のテーマは「親友ができない」18歳の若者の相談である。
今日の哲学者はアリストテレス。
室長がいつもの高田純次、秘書のミチョパ、お客様はキムラ緑子。
高田の笑わせようとするネタにハマってしまうのが視聴者のおバカな私。
山口大学の小川仁志さん、いつも高田のとんでもない理解の仕方に白けさせられたり、真面目な答えに腰を折られたりの気の毒な人。
高田の的外れに攻撃するのは秘書のミチョパ。
でもこの室長はたまに、質のいい深い感想をいうからたまらない。
すっかり自分を諦めて?自分を受け入れてに近いかもしれない。
自分を笑える人間であり、人を笑うのではなく「自分を笑える人間」高田純次である。
人を笑いで幸せにしてくれる自虐的なところが面白いのかもしれない。
キムラ緑子、この人の際立ちを感じたのはNHK朝ドラでのイビリの演技。
その時から私の芸能人に疎い注目度が上昇した。
さて親友の話だが、アリストテレスは、友達と親友を分ける線を3本引いている。
㊀有用性ゆえのフィリア 役にたつから付き合っている。
㊁快楽ゆえのフィリア 心地よいから付き合っている。
㊂善ゆえのフィリア 相手の善を願う
フィリア とは友愛
㊀と㊁が友達
㊂が親友
という具合でいろいろと話は盛り上がる。
私の場合、興味の対象が偏ったところで切り取って話しているので趣旨にあってるかどうかは疑問である。
親友の定義で、キムラさんが言ったことに驚いたが、共感できた。
キムラさんはご自分の配偶者について話していた。
夫が嬉しい事、幸せな事は自分も嬉しい、たとえそれが浮気だとしても受け入れる。
浮気が善なる事になるのは如何なものかと思うが、究極親友というものの真髄をついている気がするのだ。
相談者の若者には近づくものをも受け入れない人を決めつける、警戒心のようなものを感じる。
それは最初から人との関係を拒否しているようにも見える。
多分、人との経験で距離を保つことで安全性を得ることが習慣になるジケンがあったのかもしれない。
人との関係で超えられない山を繰り返し持つ人なのだろうと私は感じた。
始まらないから進まない。
始まってもジケンを超えられないから親友に行き着けない、そんな風に思うのである。
始まれば互いの歴史の上で交わる点や事件を通して成熟していくものが人との関係である。ご縁のない人とは友達で終わり、ご縁があれば親友にも辿り着けるものと思う。
夫婦の関係からキムラさんは話していたが、夫婦も親友も相手の幸せな一生を願うのが本物ではなかろうかと共感できた。
さて、なぜ世界の哲学者に人生相談をするのだろうか。
哲学とは知を愛すること。
知の中味は、どうしたら幸せになれるか、この人生をどう生きたら良いかを知ろうとするのが哲学だとギリシ時代の賢人たちが言っている。
学生時代に初めて「哲学」という教科に出会い、20歳からしたら40歳も歳上の人は年寄りで、奇妙な風采の教授が我々生徒と目を合わせることもなく、「われ関せず」の雰囲気で黙々と板書している。
誰に話してるのかたまに黒板を背に、右上方を向いて眠ったような細い目で話す姿。
ワイシャツがスーツのズボンから垂れたのも気にしないで、いま、その時に集中する人から「哲学者とは」の印象を受け取ったその時代の私であった。
でもその哲学の先生が淡々と紹介してくれた本はキチンと眺めたから何かは感じた授業だったのだろうとその時代の私を振り返る。
根本を知ることで枝葉で悩まない姿勢は幸せに繋がるだろうと思える。
もう一度昔に戻り、自分と周りを眺めてみようという気にさせられる今回の番組であった。