チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「もうひとつのアコウ(阿衡)事件……『関白宣言』発売30周年記念」

2009年03月22日 20時34分38秒 | 歴史ーランド・邪図
常々思うことの一つに、
視聴率が落ちた米国のTVドラマって、なぜ、
一様に画面が暗くなるのだろうか(暗いスィーンばっか)、
ということがある。ところで、
先週放送されたTBSの特番、「唐招提寺金堂帰還」とかいう
(もう消してしまったので正確なタイトルは失念)番組を
録画しといたのを、もっぱら速まわしで観た。が、その中で、
田丸美寿々女史は「金堂」を
「コ>ン-ドウ」という、テコンドーみたいな高低アクセントで発音してた。
その「バルバロイ」な発音が聞き苦しくて、
何がなんだかわからなくなり、3つの像の区別もつかなくなり、
混同してしまった。外因性ストレスが
タマルというものである。同女史は広島出身だそうだが、かりにも、
元フジTVアナである。「標準的」なアクセントや発音を使うのが
ガンジンであり、唐招大事である。まぁ、
キンドウと言わなかっただけ、まだまし、
と言わねばならない。あるいは、セリフを
カンダりしなかったぶん、まぁ、大目にみるしかない。

昨日の大阪朝日放送の朝8時の番組、神田正輝がMCの
「朝だ! 旅サラダ」のゲストは、cobaだった。ところが、
同人が旅したのは沖縄で、赤穂ではなかった。いっぽう、
ラッシャー板前の「生中継」は、
愛知県吉良町からだった。アサリ、である。ともあれ、
アコーといえば、チャイコフスキーの「組曲第2番」(全5楽章)の
中間楽章第3楽章「スケルツォ・ビュルレスク」では、
アコーディオン(手風琴)が2台使用されてるのだが。さて、
もうひとつのアコウについては、
As bellows, 否、As belows, である。

藤原基経は九世紀後半に権力を握った藤原家当主である。
不行状者とされてる陽成天皇を廃させ、
光孝天皇を擁立させるとき、
源氏物語のモデルともいわれてる源融が、
嵯峨天皇の皇子であることを根拠に
自分にも皇位継承権があると名乗り出た。が、
基経は、ひとたび臣籍降下した者は皇位に就けない、
と退けた。右大臣の基経が左大臣の融を、である。ちなみに、
この融から4代めが渡辺綱で、同人が生まれたとされてるのが、
大石主税や堀部安兵衛の切腹の地である
松平隠岐守の中屋敷跡=イタリア大使館から慶応村に下る
三田綱坂あたりである。ともあれ、
三年後、光孝天皇が崩御すると、今度は、その皇子ながら
臣籍降下して源氏となってた源定省を擁立する。
他人のときには文句を言うくせに、
自分のときになると問題にしない、
という、基経はじつに人間臭い人物である。が、
そうして擁立した宇多天皇であるが、即位後すぐに、
「万機に関(あずか)り白(もう)せ」と、
左大弁橘広相に起草させた詔を下した。ようするに、
「関白宣下」である。が、基経は固辞する。これは
中国の故事に倣ったものであり、本意ではない。
三度請わせてやっと受ける、という、
諸葛孔明で名高い「三顧の礼」である。翌月また、
「宜しく阿衡の任を以て、卿の任となすべし」
と詔を発した。が、これを文章博士藤原佐世が
「阿衡には位貴しも、職掌なし」と基経に告げたのである。
広相は「これでイインです」と言ったが、
基経は政務を執らないばかりか、出仕もしなかった。これは、
♪お前を関白に、する前に、
 言っておきたい、ことがあるぅ~っ♪
宇多天皇による基経警戒を敏感に察知した基経の、
「ウダウダ言っとるんやったら、この基経抜きでやってみんけ、ワレ!」
なんていうカッコいい赤穂弁による、どうせ政務は滞るだけ、という、
高をくくった権力誇示、示威行動である。もっとも、
かりにもお公家さまである。
そんな言葉は使わなかったとは思うが。ともあれ、
宇多天皇は他意のないことを基経に弁明した。ついには、
橘広相を罷免し、誤りを認める詔を発布する。
完全に立場が逆転してるのである。ちなみに、
このときに菅原道真が基経を諌めた。そのことが、後の
基経の倅時平による右大臣菅原道真太宰府左遷事件、
へと繋がるのである。

これが「アコウ事件」「アコウ紛議」というものである。
「阿衡」とは、くだいていえば「宰相」である。ときに、
品川や五反田方面から旧テレ朝通りや西麻布方面に向かうとき、
私は四の橋の先(天現寺方面)の肉のハナマサの手前を右折して、
新坂を登ってくのであるが、その途中、
フィンランド大使館がある。そこを右に入ると、
「阿衡坂」という坂がある。これは、江戸時代初期、
この坂の南側に保科正之の屋敷があったことから、
その名がついた由。将軍家綱を補佐する正之は、
「阿衡」だったのである。ちなみに、その実父秀忠は、
亭主関白の正反対だった。ところで、

1979年に発売された、さだまさしの、
♪お前を夜目に、する前に、
 言っておきたい、ことがあるぅ~っ♪
という遠目歌謡曲の主要動機は、
****♪ソソ・<ラ>ソ>♯ファ<ソ│<シーーー・●●●●・・●●
   ソソ・<ラ>ソ>♯ファ<ソ│<ドーーー・●●●●・・●●
   ソソ・<ラ>ソ>♯ファ<ソ│<レーーー…♪
である。いっぽう、
東京海上日動の最近のTVCM「baby's talk」に、
「ホントはオムツもサイフも旋律も自分で取り換えたいくらいなんです」
っていう、「なんでも自分でやらないと気が済まない」赤子と、
「やっぱ、作曲はプロにまかせたほうがいいんじゃない?」
っていうオムツをした赤子との
ダイアローグ的ソナータ形式になってるのがある。ちなみに、
コメディアンのダニー・ケイがNYフィルハーモニックを「指揮した」ときの、
「アニヴニング・ウィズ・ダニー・ケイ(邦題:ダニー・ケイとニューヨーク・フィルの夕べ)」
のオウプニングに使われたのは、ロッスィーニのオペラ、
"La Gazza Ladra(ラ・ガッザ・ラードラ)"(泥棒かささぎ)の
序曲である。この「番町銀食器屋敷」コメディ版といったオペラは、
某お屋敷の、高級子供服ブランドを身につけたコスプレイアー
お女中ニネッタが主人公である。だからか、この序曲の第2主題が、
少年の頃からヴァイオリンをやってたさだ氏のオツムの中に残ってて、
似ネッタのかもしれない。さだめし、
恥ずかしいことだろうが、厚顔無恥な者にとっては、
ラードロというよりはむしろコソドロである。
***♪ソ・<ラ>ソ>│♯ファー・ーー<ソー│<ドー・●●・
   ソ・<ラ>ソ>│♯ファー・ーー<ソー│<・ミー・●●♪
ところで、さだ氏には「かささぎ」という別の歌謡曲がある。
「生きることはスリしちまうことだと解かっていたけれど」
という歌詞で始まってた、かもしれない。が、
"CSI Miami"のデイヴィド・カルーソウと、
"Basic Instinct 2(氷の微笑2)"のシャロン・ストウンとの、
身振りとしゃべりかたと顔つきの区別もつかない
私の拙脳ではサダかではない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「待(マチ)・街(ガイ)だらけ... | トップ | 「チャイコフスキーの『1812... »

コメントを投稿

歴史ーランド・邪図」カテゴリの最新記事