チャイコフスキー 1812年
WBCは日本が優勝した。イチローというよりは、
意地ローだったということである。さすが、
日本を佐藤と二分する鈴木一族。
熊野神社の浸透力と神道力。ダルヴィッシュも、
サイコーとまではいかなくとも、
サエコー思いなピッチングはしてたのだろう。いっぽう、
ダルヴィッシュ投手が10回裏も続投したからといって、
小沢も某党の党首を続投するらしい。あの
日本人離れした顔で泣いてみせたりして。ちなみに、
同じく「青」のユニフォームでも、
日本ティームの青は品がある。ときに、
青い、といえば、葵の御紋の公方綱吉の時代、
元禄11年に、上野寛永寺の根本中道が完成した。
責任者は柳澤吉保、木材調達は紀文である。その
造営で余った木材で、深川の渡しあたりに
橋を架けた。それが、現在では夜に
青いライトアップがされてる「永代橋」である。
それからおよそ100年後の文化4年夏、
富岡八幡宮の例大祭見物客が殺到したために
落橋する。死者1500人余ということである。
「え・いたいと、かけたる橋は、落ちにけり。
橋は祭礼、明日は葬礼」
大田直次郎の狂歌である。壮麗なる祭が
大惨事になってしまったのである。そして、
それから5年後の1812年、
ナポレオンのロシア遠征が始まったのである。が、
1812年という年は、ナポレオンに手を焼いてる英国に
米国が再び戦争を仕掛けた年でもあった。
この戦争によって、首都ワシントンも戦禍に遭い、
大統領府も英国軍によって焼き討ちされてしまった。
戦後に、焼けこげながらも残った外壁をそのままに
再建されたのだが、そのときにその
お焦げ色を隠すために白塗りしたことが、
「ホワイトハウス」の誕生になったのである。ところで、
「米英戦争」のときにできたのが、
「ザ・スター・スパングルド・バナー」、
現在の合衆国国歌である。さて、
チャイコフスキーの「1812年」は、
「ラ・マルセイエーズ」と
「ボージェ(神よ)、ツァリャー(皇帝を)・フラニー(護り給え)」
という、それぞれフランスとロシアの国歌になった歌が
使われてる。が、いずれも
「1812年」にはそれぞれの国の国歌ではなかった。
ベートーヴェンが失望したナポレオンによる
国家の帝政と国歌の訂正によって、
"Veillons au salut de l'Empire"
(ヴェイヨン・ゾ・サリュ・ダ・ランピル)
「帝国の救世にあたれ」
に替えられてたからである。
♪ソ│<ド<ミ>ド・>シ>ラ<シ│<ドー<ミ・>ソー♪
この曲の歌詞も過激だが、
「ラ・マルセイエーズ」はじつに凄まじい。
"Marchons, marchons!
Qu'un sang impur
Abreuve nos sillons!"
(マルション、マルション!
カン・サン・カンピュル・
アブルヴ・ノ・スィヨン!)
「突撃、突撃!
敵の穢れた血を
我々の畑に飲ませるんだ!」
すごい文句である。自分たちが丹精込めて耕した畑でも、
そこが戦場となることを辞さないばかりか、そこで
敵兵を殺してその流れた血を洗浄するのではなく、
その畑の肥しとして吸わす、
などという発想は、日本人には考えもつかない。
「君が代は、千代に八千代に、
細れ石の、巌となりて、
苔のmossまで」
がやっとである。これに起立しない、
思慮に足りない、性根が曲がった輩が
のうのうと教職に就いてれるとは、
日本はなんと豊かで大らかな国なことだろう。ときに、
東証の証券コウド:1812は鹿島建設、
であるが、同社は
天保11年に鹿島岩吉によって創業された
「大岩」という大工店が元である。
天保11年はほぼ1840年。同年生まれの
チャイコフスキーと因縁浅からぬ関係である。また、
岩吉、大岩という「岩」は、チャイコフスキーの名、
ピョートルもいわゆる「岩」「石」が語源であり、
やはり因縁浅からぬ、よロシュう関係でござるといえよう。
音楽とは、文学・絵画など他の「芸術」と違って、
作者が「書いた」とおりがそのまま受け手に伝わらない、
という奇妙な芸術です。(文学でも戯曲は演じ手を要しますが)
「演奏者」という「再現マシーン」が必要だからです。が、
クラシック音楽の指揮者・演奏者というものはなぜかお偉いらしく、
天才が作曲したものを「解釈」などと言って、それぞれが
歪曲して受け手を手玉に取ってます。
私にはそんな代物は御免です。ということは、
世の中には私と同様に思ってる人も、
相当いるのではないかと推察されます。ですから、
作曲家が書いたものに近づけようという思いで、
楽譜を再現しようとする者がいれば、そこには
必ず真っ当なファンがつくものと思います。
いただいたメイルへの返信で申し上げた
"dolce"の真の意味をご理解いただけましたでしょうか。
虚心坦懐にスコアと向き合えば、
「真実」が見えてくるはずです。再度、
このニーチェの言葉を鼻向けに贈ります。
「信念は嘘より危険な真理の的である」