チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「織田"上総守"信長の恥ずかしいムチ」

2010年02月26日 01時36分12秒 | 歴史ーランド・邪図
男子フィギュア・スケイターの織田信成は
信長の子孫だそうである。七男信高系だが、
途中で次男信雄系の養子が入ってるから
信雄系といえよう。ともあれ、信長の織田家は、
姓(かばね)は平氏称したが、実際は
忌部(斎部)氏らしい。つまり、もともとは
神事祭祀を司る家である。なぜ、
「織田」という名字を名乗ったかといえば、かつては
劔(つるぎ)神社の神官で、
丹生郡織田荘(にゅうのこおり・おだのしょう)
を領したからである。ちなみに、
丹生とは、神社には欠かすことができない
「朱」色の原料である辰砂(しんしゃ)
=HgS(硫化第二水銀)のことである。それにしても、
先祖が「朱」を扱ってた織田の信長が、
「アケ」「チ」によって誅されたのである。ともかくも、
丹生郡織田荘があるのは、
「越前国」である。

さて、
信長は二十歳くらいのときに、書状に自らを
織田"上総守"と自称した。天敵「駿河今川家」が代々、
"上総介"に任じられてたから、
虚勢を張ったのだそうである。が、すでに
室町から戦国の当時、現実問題として、
"上総守"なんて官職は実質
"存在しなかった"のである。これは、
「親王任国(しんのうにんごく)」という
ほとんど慣習のような制度のためである。
桓武天皇、その子平城天皇・嵯峨天皇らちは子だくさん。
親王家の財政維持を目的に制定された。
平城・嵯峨両天皇の弟君、
淳和天皇一代の時限立法だったが、
その後も存続したのである。このとき、
「親王任国」に指定されたのが、
「上総国」「常陸国」「上野国」の3国だった。だから、
"親王"以外には「上総守」「常陸守」「上野守」は
"存在しえなかった"のである。そして、
これら3国の実質的"長官"は、それぞれ、
「上総介」「常陸介」「上野介」だったが、
律令制が崩壊した後も、慣習的に同様だったのである。
「過ち」に気づいたか、注進されたか、
信長は"上総介"と改めた。やめたくらいだから、
ないのを"承知の上"で
"上総守"と書いたわけでもなさそうである。

ときに、
律令制における「国」には「ランク」があった。
大国>上国>中国>下国
である。このランクは、"おおむね"
郡の数、つまり、"収穫高"に因る。当然に、
「上総国」「常陸国」「上野国」の3国は
「大国」だった。また、
「越前国」も「大国」とされてた。他に「大国」は、
播磨国、肥後国、河内国、大和国、近江国、伊勢国、
武蔵国、上野国、陸奥国、
などである。

ちなみに、
天長3年(西暦826年相当)に「親王任国制」が敷かれたのちの
「上総介」には、「更科日記」の作者の父としても、
菅原道真の曾孫としても著名な、菅原孝標がなってる。ちなみに、
曾孫といえば、豊田章男社長は
豊田「織」機佐吉の曾孫だそうである。
トヨタ潰しは日本壊滅戦略の一環だとも言われてる。ともあれ、
菅原孝標はまた「常陸介」にもなった、
じつに身入りのいい貴族である。いっぽう、
「親王任国制」ができる前には、
大伴家持が57歳のときに左京大夫兼「上総守」に任じられてる。
家持はのちに伊勢守にもなってるが、最終的には、
中納言というナンバー3にまで昇進する。が、この
人物のおもしろいところは、大伴家という
天皇の近衛隊みたいな家であることを象徴するように、
「持節征東将軍」として陸奥国で死んだ、
ということになってる。ちなみに、
大伴家から出た佐伯家も軍事を司る一族である。そして、
歴史の教科書にも載ってるごとく、
藤原種継暗殺の首謀者として"被疑者死亡"のまま
従三位を剥奪され、倅とともにその遺骨が
オシ隠岐にされる、という壮絶な死後だった。赦されて
遺骨が京に帰るのは21年後のことである。それはともあれ、
親戚の大伴弟麻呂は初代征夷大将軍として、副官の
坂上田村麻呂とともに蝦夷を陸奥国の
「胆沢」で討破る。モレなく壊滅させたわけではないが、これで
アテルイ度、否、ある程度、東国の脅威は封じれた。いっぽう、
さかのうえのたむらまろから1200年経った
現代、何のエニシかエミシかは、
フジTVアナ松村未央女史と岩崎恭子女史の顔の区別が
三回に一回はつかない拙脳なる私には解らないが、
日本人離れした行動・風貌・人格の、
サエキ家とは正反対の売国政治家が跋扈してる。
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