チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「神楽坂の一方通行と石立鉄男/鉄っちゃんドヴォルザークの新世界交響曲」

2010年12月16日 00時52分02秒 | 歴史ーランド・邪図

神楽坂 由来


1893年12月16日、アントニーン・ドヴォルジャークの
いわゆる「新世界交響曲」が
NYのカーネギー・ホールで初演された。その百年後、
リラの精はいなかったが、
1993年12月16日、良くも悪くも
「日本列島を改造」した田中角栄が死んだ。今では、
「まぁ、そのぅ……」というモノマネをしても
若者は知らない世代になってしまったが。

ところで、
飯田橋駅西口から外堀通りに交差する
いわゆる神楽坂は一方通行の通りである。が、
午前と午後でその「方向」が変わる、
という世にも珍しいことが起こるのである。
午前は「下り方向」、午後は「昇り方向」となる。なぜ、
そんな奇妙奇天烈な方策が採られてるかといえば、
田中角栄はもともと飯田橋に縁があった。
田中土建も飯田橋にあった。のちに、
政治家となって、神楽坂の芸者を愛人として
非嫡出子ももうけたが、その神楽坂の愛人宅から
永田町に向かうのは「下り方向」、帰宅する夜は「昇り方向」が、
都合がよかったのである。それは、たまに帰る
目白の自宅からでも同様に通行することになるので、
やはりそのとおりの向きでしかるべきだったのである。
失脚後そして死後もそのままなのは、
そんな理由が本当だったと思わせないためであるらしい。

ともあれ、
反共だったくせに支那に歩み寄ったニクスンの路線に倣って
角栄は支那と国交回復をし、さらには対米従属から脱却を諮り、
石油を米ルート以外から取ろうとしたため、
米国の石油メイジャーやロックフェラーの策略で
「ロッキード事件」を公表されて躓いた。本家のニクスンも、
ウォーター・ゲイト事件を表沙汰にされて失脚した。ちなみに、
竹下が東京リクルート、金丸が東京佐川、
橋龍が日歯連闇献金事件、鈴木宗男が"疑惑の綜合商社"、
鳩山が"毎月マミーから1500万"小沢が政治資金規正法、
というように、旧田中派の目立つのはすべて
躓くように仕掛けられてるのである。

ときに、
この「神楽坂」という呼称の由来であるが、巷には、
・坂の上方にあった高田穴八幡御旅所で神楽を奏した。
・津久戸明神が移ってきたおりに神楽を奏した。
・若宮八幡の神楽が聞こえ。
・赤城明神の神楽堂があった。
と、いずれも神事の神楽にちなんだ諸説が流布してる。が、
そんなことで神楽坂などと呼ぶとは到底思えない。
私は以下のように断じる。
江戸時代、この坂は現在のような
いわばアナログ式にずっと傾斜や芸者が続くslope状ではなく、
踊り場状の水平面が幾層にも段々になってた
いわばディジタル的な段々畑のようだったのである。
今でも、通柱(とおしばしら)なしで管柱(くだばしら)だけで
平屋から二階以上を増築するのを
「太神楽造(だいかぐらづくり)」略して「お神楽」と言って、
金銭面では安価ながらもその脆弱性から忌避される工法がある。
「太神楽」というものが「舞」「曲芸」「話芸」「鳴物」の
「4本の柱」で構成されてることからそう呼ばれる。そのように、
一段ずつ「踊り場」を積むような坂だから
「神楽坂」と呼ぶようになっただけのことであり、
神事の神楽とは無関係なのである。

ドヴォルジャークのいわゆる「新世界交響曲」は、
第1楽章の短い序奏の冒頭の中低弦のアンサンブルが絶妙である。
[Adagio、4/8拍子、1♯(ホ短調)、pp]
*****♪ラーーー・ー>ソー<ラ・・>ミーーー・ーーーー│
    <ファーーー・ー>ミー<ファ・・>ドーーー・ーーーー│
    <レーーー・ー>ドー<レ・・(<ミーッ●●・<ファーッ●●│
    >ミーッ)♪
醜い顔ながら結婚し、子をもうけ、家庭を築いた鉄っちゃんにして、
垢抜けないオーケストレイションの凡人にしては
よくもここまでの高みに達したといえるほど、
寂寥感をうまく醸しだしてる。そして、
曲全体も賞賛に値する。といっても、
主席フルートが吹く第1フルートでなく、第2フルートばかりに
ソロを吹かせるようなオーケストレイションをした理由すら解らず、
日仏学院を日本仏教学院の略称だと思いこんでたような
拙脳なる私の感想にすぎない。

ところで、
ドヴォルジャークといえば鉄道マニア、鉄キチ、鉄ちゃん、
鉄男としも知られてる。いっぽう、
神楽坂といえば、ロッキード事件が公になった翌年の
昭和52年から翌53年まで日テレで放送された
「気まぐれ本格派」という実在の衣装店を舞台にした
ドラマのロケ地だった。主演は故石立
鉄男。故三ツ矢歌子女史、秋野太作、山口いづみ女史、
などが共演だった。そして、
水沢アキ女史がまだかわいかった頃である。ちなみに、
同女史の「娘ごころ」の"歌唱"が好きだった。
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