手話を勉強中

手話の勉強中に、気になったことや気付いたことなど

「没頭する」と「のめり込む」その2

2020-04-03 10:49:26 | 手話

その1で述べた状態を、誰かに伝えるとき、私は
「今、***にのめり込んでます」
みたいな言い方をしてきました。

最近、この言い方ってちょっと印象悪いんじゃないかなーと
思うようになりました。他の言い方で思いついたのが、

「没頭する」です。

(それだけ( ^ω^)って言わないでください。
ええ語彙は貧弱ですよ!)

 「没頭する」って言うと、
  あー頑張ってるなー、まわりのことを忘れてるんだ
って感じで、いい印象があるんですが、

 「のめり込む」って言うと、
  これではいかんと思いつつも、どうしても止められない
って感じの、よくない印象がある気がします。

 私の状態は、明らかに「のめり込む」状態なので
しょうがないかとも思ったんですが、物はついでと、
goo事典で調べてみました。結果は、

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ぼっ‐とう【没頭】[名]
(スル)一つの事に熱中して他を顧みないこと。「事業に没頭する」
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のめり‐こ・む【のめり込む】[動マ五(四)]
1 前へ倒れるように入り込む。「ぬかるみに―・む」
2 ある環境や状況の中に深く入り込む。「研究に―・む」「ばくちに―・む」
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うーん、意味的には、良い悪いはなさそうです。むしろ没頭のほうは、
「他を顧みないこと」ですから、
私が思ってたこととは逆の意味になってます。結局、

 ***に没頭する(のめり込む)の、印象の良し悪しは、
***で決まる

ということなんでしょうか・・・


ショック

2019-06-01 11:00:00 | 手話
先日、手話の勉強会がありました。クイズ形式で、
ヒントから熟語を作り、それを手話で表現する
というものですが。ある問題で、最終的に、
  「口」と「耳」と「王」
  の三つを組み合わせて一つの漢字
を作れば答えがわかるところまで来ました。

・・・その三つを組み合わせた漢字が判らない。
散々考えたんですが、思いつけない。降参しました。
答は、聖でした。言われてみれば、「そりゃそうだ!」なんですが、
考えているときは、思いつけませんでした。
気落ちしました。ショックです。
もともと、漢字と図形は苦手なんですが、ここまでとは!
もしかすると、「ボケ」が始まっているのかも・・・
-----------
(追)今はいている靴、だいぶ傷んでいます。
靴底が薄くなっていて、小石を踏むと、
「あっ、小石踏んだ!」と気付きます。
また、雨の日には、雨水がしみ込んできて、靴下が濡れます。
靴底はツルツルで、よく滑ります。以前から、
滑りそうになるたびに、新しい靴買わなきゃと思ってたんですが、
結局、「おバカな怪我」をしてしました。
本当に、靴買わなきゃ!

言葉の使い方

2019-03-17 16:29:01 | 手話
福島原発事故に関連して、国は農作物の安全基準を設けたけど、
ある評論家が、「あれは、『安全基準』ではなく『がまん基準』だ。」
と言っていたと聞いたことがあります。
 それで思い出したんですが、中学生の時、社会の先生が、
「第二次世界大戦に関して、日本には『終戦記念日』があるが、
あれは、『敗戦記念日』だ。」と言ってました。その時は、
なるほど、日本は負けたんだから、敗戦記念日というべきだろうなと思いました。
大人になった頃には、
「『終戦記念日』という言い方は、負けたことを思い出したくないからじゃないか」
と考え、更に、
「今後、戦争を起こさないためにも、負けたことは自覚しておくべきだ」
から、『敗戦記念日』というのが正しいと考えていました。
最近(というか、だいぶ前だけど、年取ってから)、その考えが変化しました。
まず、物事に名前を付けるとき、
「この名前は正しいとか、その名前は間違いとか」
はないということです。例えば、AとBの二つの名前候補があるときの考え方は、
「AとBのどちらがよりふさわしいか?」
であって、「AとBのどちらが正しいか?」じゃないということです。
「ふさわしい」は、人によってその判断基準は様々ですから、
Aをふさわしいと思う人、Bをふさわしいと思う人の両方がいてもおかしくありません。
『敗戦記念日』と命名した人(?組織)は、いかなる理由でこの呼び名が
ふさわしいと思ったんでしょう?
ここからは、想像ですが・・・
 戦時中は、特に敗戦間際には、食料などの物資も不足し、日常生活では、
苦しい思いをがまんして、じっと耐える生活を強いられていたと思います。
更に、アメリカからの爆撃や艦砲射撃で、
いつ命を落とすかわからない恐怖もありました。
戦争が終わったことにより、爆弾や艦砲射撃の恐怖は
なくなりました。更に、今まで戦争のために制限されていた物資供給も
しなくてよくなり、これから頑張れば過不足ない生活を送ることができる
可能性が見えてきました。
「戦争は終わったんだ!さあ、これから明るい未来に向かって頑張ろう!」
みたいな想いを込めて、『終戦記念日』と命名したのかもしえません。
うん、全く、的外れかもしれませんね。
一言断っておくと、私は戦後生まれです。

困ったもんだ!

2019-03-07 10:24:05 | 手話
昔は、音楽に殆ど興味がありませんでした。
勤めている頃は、自動車通勤だったので、
CDをかけていましたが、CDの入れ替えを
したことありませんでした。もし、誰かに、
 「運転中、どんな音楽聞いてる?」
と聞かれたら、「はて?なんか音楽かかってたけど
なんだったっけ?」で、答えられなかったと思います。

 定年後は、結構音楽に興味を持って、何かしている時も
音楽をかけていることが多いです。

 ここ数日は、Josh Woodward の swansong が気に入って、
それを繰り返し聞いてます。この歌、途中で
「ぼくは、大丈夫」と歌い手が言うんですが、
全然、大丈夫じゃない感じ。
繰り返し聞いていると、気持ちが落ち込んできます。
でも、聞いていたい。困ったもんだ!

 仕方ないので、リマールの the neverending story を
加えて、交互に繰り返し聞いています。
ジョッシュウッドワードで落ち込んで、
リマールで、元気取り戻して・・・

気になること

2019-02-17 10:38:58 | 手話
手話を始めてから、時々、普段使っている日本語が気になります。
若いころは無頓着( 例えば、「表す」と「現す」の区別がつかないほど)
だったんですが、微妙な違いでも気にかかります。最近気になったのが、

 A.彼は、私を嫌っている。
   と、
 B.彼に、私は嫌われている。

の違いです。
 同じ?意味に違いはない?どうなんでしょう?
一般意味論的に考えると、

 両者の情報は同じである。
  「彼は私を嫌いである」という情報
 違いは、話者の心理
   Aでは、その情報を何とも思っていないが、
   Bでは、そのことが心のどこかに引っかかっている。

かな・・・

 っと、一般意味論では、単語や文章を情報とその評価に分けます。
例えば、「おまわりさん」と「ポリ公」は、情報が同じ(警察官)ですが、
その評価は、
  身近で、頼りになる人(職業)
 と
  敵でないとしてもできれば避けたい人(職業)
に分かれます。

 ちょっとした文章や単語の違いですが、その微妙な違いが
読む人の心の琴線に触れたり触れなかったりするのかもしれません。