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手話の勉強中に、気になったことや気付いたことなど

びっくり4

2020-09-12 21:39:13 | 日常

及川幸久氏を検索してみた。経歴を見ると、

1979年 青山学院高等部を卒業[7]
1986年 上智大学 文学部(新聞学科)を卒業
1988年 国際基督教大学大学院 行政学研究科修士課程修了
1988年 メリルリンチ(Merrill Lynch & Co., Inc.)入社。東京の日本法人とニューヨーク本社で勤務
1990年 英国ロンドンの投資顧問会社インベスコ・アセットマネジメント入社
1994年 幸福の科学に入職。国際本部長、専務理事を歴任
2012年 幸福実現党 外務局長に就任
2017年 Youtubeにて及川幸久 潜在意識チャンネルを開設し、Youtuber活動を開始

とある。どうやら、外国での勤務時代に、幸福の科学の教祖の出版物を読んで、感化され入信したようです。これだけの頭脳の持ち主が、何故取り込まれたんだろう。

(ここからは推測)偏見と独断で述べます。「幸福実現党」の憲法試案を見る限りなかなかよくできていると思う。でも、「幸福の科学」を発展させていく過程での宣伝などのやり方を見ると、新興宗教を広めようとしたらこんな感じかとも思うけど、やっぱりひいてしまう。及川氏が教祖の著作物を読んで入信を決意した訳だから、著作物は素晴らしい内容なんだと思う。それでも、もしかしたら、及川氏は通常の精神状態でなかったのでは?絶望に近い悩みを抱えていた時、たまたまその著作物と出会い、それを信じることで「救われ」たとか。もしそうなら、及川氏は、両親の信仰する宗教を深くは考えていなかったんだろうな。仏教にしろ、キリスト教にしろ、「救い」はあるんだから。いずれにしろ、「幸福の科学」は、これほどの人物を取り込む宗教なのだから要注意だと思う。

何故、私は、「幸福の科学」を胡散臭いと感じるんだろう?

恐らく、私は「科学」という言葉を非常に狭い意味でしか認めていないからだと思う。私は、「科学」とは「科学的手法」により物事を解明することと思っている。科学的手法は、「実験」、「再現」、「仮説」、「再検証」等から厳密に構成されてきた。50年前は、「科学」とは、理系の学問分野の概念であったと思う。「科学」がその力を発揮できる分野はかなり限定的であると思う。ところが、最近(でもないか)では、

 人文学 が 人文科学  に  社会学 が 社会科学

に替り、これらの学問も「科学的手法」の一部を取り入れて「科学」の仲間入りをし、科学の概念がより広い範囲を指し示すようになった。私からすれば、それはとても「科学」と言える代物ではなく、人文科学も社会科学も科学とは異なるもの(悪く言うなら、ここで使われる科学的手法とは、古代のまじないと同義語)だと考えている。私が、理系出身者だからそう考えるんだろうか?文系の人たちにとって、「幸福の科学」なる言葉はすんなり受け入れられる言葉なんだろうか?


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