手話を勉強中

手話の勉強中に、気になったことや気付いたことなど

言葉の使い方

2019-03-17 16:29:01 | 手話
福島原発事故に関連して、国は農作物の安全基準を設けたけど、
ある評論家が、「あれは、『安全基準』ではなく『がまん基準』だ。」
と言っていたと聞いたことがあります。
 それで思い出したんですが、中学生の時、社会の先生が、
「第二次世界大戦に関して、日本には『終戦記念日』があるが、
あれは、『敗戦記念日』だ。」と言ってました。その時は、
なるほど、日本は負けたんだから、敗戦記念日というべきだろうなと思いました。
大人になった頃には、
「『終戦記念日』という言い方は、負けたことを思い出したくないからじゃないか」
と考え、更に、
「今後、戦争を起こさないためにも、負けたことは自覚しておくべきだ」
から、『敗戦記念日』というのが正しいと考えていました。
最近(というか、だいぶ前だけど、年取ってから)、その考えが変化しました。
まず、物事に名前を付けるとき、
「この名前は正しいとか、その名前は間違いとか」
はないということです。例えば、AとBの二つの名前候補があるときの考え方は、
「AとBのどちらがよりふさわしいか?」
であって、「AとBのどちらが正しいか?」じゃないということです。
「ふさわしい」は、人によってその判断基準は様々ですから、
Aをふさわしいと思う人、Bをふさわしいと思う人の両方がいてもおかしくありません。
『敗戦記念日』と命名した人(?組織)は、いかなる理由でこの呼び名が
ふさわしいと思ったんでしょう?
ここからは、想像ですが・・・
 戦時中は、特に敗戦間際には、食料などの物資も不足し、日常生活では、
苦しい思いをがまんして、じっと耐える生活を強いられていたと思います。
更に、アメリカからの爆撃や艦砲射撃で、
いつ命を落とすかわからない恐怖もありました。
戦争が終わったことにより、爆弾や艦砲射撃の恐怖は
なくなりました。更に、今まで戦争のために制限されていた物資供給も
しなくてよくなり、これから頑張れば過不足ない生活を送ることができる
可能性が見えてきました。
「戦争は終わったんだ!さあ、これから明るい未来に向かって頑張ろう!」
みたいな想いを込めて、『終戦記念日』と命名したのかもしえません。
うん、全く、的外れかもしれませんね。
一言断っておくと、私は戦後生まれです。

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