福島原発事故に関連して、国は農作物の安全基準を設けたけど、
ある評論家が、「あれは、『安全基準』ではなく『がまん基準』だ。」
と言っていたと聞いたことがあります。
それで思い出したんですが、中学生の時、社会の先生が、
「第二次世界大戦に関して、日本には『終戦記念日』があるが、
あれは、『敗戦記念日』だ。」と言ってました。その時は、
なるほど、日本は負けたんだから、敗戦記念日というべきだろうなと思いました。
大人になった頃には、
「『終戦記念日』という言い方は、負けたことを思い出したくないからじゃないか」
と考え、更に、
「今後、戦争を起こさないためにも、負けたことは自覚しておくべきだ」
から、『敗戦記念日』というのが正しいと考えていました。
最近(というか、だいぶ前だけど、年取ってから)、その考えが変化しました。
まず、物事に名前を付けるとき、
「この名前は正しいとか、その名前は間違いとか」
はないということです。例えば、AとBの二つの名前候補があるときの考え方は、
「AとBのどちらがよりふさわしいか?」
であって、「AとBのどちらが正しいか?」じゃないということです。
「ふさわしい」は、人によってその判断基準は様々ですから、
Aをふさわしいと思う人、Bをふさわしいと思う人の両方がいてもおかしくありません。
『敗戦記念日』と命名した人(?組織)は、いかなる理由でこの呼び名が
ふさわしいと思ったんでしょう?
ここからは、想像ですが・・・
戦時中は、特に敗戦間際には、食料などの物資も不足し、日常生活では、
苦しい思いをがまんして、じっと耐える生活を強いられていたと思います。
更に、アメリカからの爆撃や艦砲射撃で、
いつ命を落とすかわからない恐怖もありました。
戦争が終わったことにより、爆弾や艦砲射撃の恐怖は
なくなりました。更に、今まで戦争のために制限されていた物資供給も
しなくてよくなり、これから頑張れば過不足ない生活を送ることができる
可能性が見えてきました。
「戦争は終わったんだ!さあ、これから明るい未来に向かって頑張ろう!」
みたいな想いを込めて、『終戦記念日』と命名したのかもしえません。
うん、全く、的外れかもしれませんね。
一言断っておくと、私は戦後生まれです。
ある評論家が、「あれは、『安全基準』ではなく『がまん基準』だ。」
と言っていたと聞いたことがあります。
それで思い出したんですが、中学生の時、社会の先生が、
「第二次世界大戦に関して、日本には『終戦記念日』があるが、
あれは、『敗戦記念日』だ。」と言ってました。その時は、
なるほど、日本は負けたんだから、敗戦記念日というべきだろうなと思いました。
大人になった頃には、
「『終戦記念日』という言い方は、負けたことを思い出したくないからじゃないか」
と考え、更に、
「今後、戦争を起こさないためにも、負けたことは自覚しておくべきだ」
から、『敗戦記念日』というのが正しいと考えていました。
最近(というか、だいぶ前だけど、年取ってから)、その考えが変化しました。
まず、物事に名前を付けるとき、
「この名前は正しいとか、その名前は間違いとか」
はないということです。例えば、AとBの二つの名前候補があるときの考え方は、
「AとBのどちらがよりふさわしいか?」
であって、「AとBのどちらが正しいか?」じゃないということです。
「ふさわしい」は、人によってその判断基準は様々ですから、
Aをふさわしいと思う人、Bをふさわしいと思う人の両方がいてもおかしくありません。
『敗戦記念日』と命名した人(?組織)は、いかなる理由でこの呼び名が
ふさわしいと思ったんでしょう?
ここからは、想像ですが・・・
戦時中は、特に敗戦間際には、食料などの物資も不足し、日常生活では、
苦しい思いをがまんして、じっと耐える生活を強いられていたと思います。
更に、アメリカからの爆撃や艦砲射撃で、
いつ命を落とすかわからない恐怖もありました。
戦争が終わったことにより、爆弾や艦砲射撃の恐怖は
なくなりました。更に、今まで戦争のために制限されていた物資供給も
しなくてよくなり、これから頑張れば過不足ない生活を送ることができる
可能性が見えてきました。
「戦争は終わったんだ!さあ、これから明るい未来に向かって頑張ろう!」
みたいな想いを込めて、『終戦記念日』と命名したのかもしえません。
うん、全く、的外れかもしれませんね。
一言断っておくと、私は戦後生まれです。
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