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宗教の真実度 その7(原理主義とカルト)

●カルト教団
私が大学生であった70年代は、激しかった大学紛争も山を越え、ようやくキャンパスにも平穏さが戻るかに見えた。しかしキャンパスは学生運動に挫折し目的を失った連中が、カルト教団に心を侵食され始めていた。S学会やら原理運動の統○協会など、毎度おなじみのカルト教団から、訳の分からぬカルトまで百花繚乱いや魑魅魍魎の世界であった。

この手のカルト教団の勧誘活動のすさまじさに、毎日辟易としたものである。カルトに被れた連中の多数は、やがて冷静さを取り戻しカルトから縁を切ったものが多かった。しかし縁を切れなかった者は身を持ち崩し悲惨な状況に陥り、退学したり、行方知れずとなった者も少なくなかった。カルトは一見して怪しいと思われるものだけでなく、誰もが知っている大宗教の隠れ蓑を被って、巧みに偽装したものもある。

『パワーかフォースか ----- 人間のレベルを測る科学』の23章の中で原理主義とカルトについて述べている箇所を引用してご紹介しておこう。

●原理主義とカルト
(前略)
どんな宗教でも原理(根本)主義派は常に一番低く測定され、犯罪の意識でと同じ水準で活動していることがわかります。その象徴は、自己中心的な極端主義と非合理性です。しかし人類の85パーセントは200の臨界点となるレベル以下で測定されるために、間違いは容易に広まり、また、容易に世界中で受け入れられることになります。

一般の人々には虚偽と真実を区別する客観的な基準はまったくないので、カルトが急増しています。今回の研究方法を使って、200レベル以下で測定されるものは、どんなによく知られているスピリチャルムーブメントであっても、カルトだと特定づけることができるでしょう。前述のようにカルトはただ孤立した反逆的な現象といえるだけではなく、世界の大宗教の中でもその存在が許されています。そして、宗教の教えを歪めその意図を覆しながらも多めに見られているサブグループ(下位集団)となります。

カルトは正式に宗教的である必要はまったくありません。究極的なカルトは「悪魔主義」として知られているものであり、「反-神性」に基づいた、もちろん、反-宗教なのです。優しさの原理と正反対のことが定義されるような独自のものには、いかなる明確な宗教目的もありません。あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。上があれば下があるように、光と闇があります。人間の真理への探求、そして高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは宗教として社会的に組織化されます。そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。なぜなら組織化されるという偽りが最初から伴っているからです。
(引用終了)

●何事も疑う
カルトは孤独感や病気、貧困、社会への不満、幸福や富への憧れ、さまざまな欲など人が持つ弱みや心の隙間につけ込むだけでなく、人間の真理への探求、そして高い精神的レベルに達しようとする高邁な精神をもターゲットとしている。最近は人々の精神世界への関心が高まるにつれて、カルトはセミナーやセッション、コンサート、美術展等のイベントやHP、ネットショッピング、出版物など、あらゆる手段を通して勧誘活動をその勢力を拡大しようとして試みている。

巷に氾濫する情報は何事も鵜呑みにせず、まずは疑い、自分の直感を頼って判断を下していただきたいと思う。しいては私のブログの情報が本当に正しいかどうかも、是非疑って欲しい。何事も一度は疑ってみることが、真実を発見する第一歩であるからだ。

続く

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