なんかカールしてる

良いことあったら、ちょっとおしえましょう。

柳の下の卵焼き

2017-07-29 19:16:17 | 岩手に育って
なんでだろう。急に歯が痛み出し、左のほっぺに冷えピタを縦に貼ってパソコンにむかっています。このしつこい蒸し暑さに体力低下し、弱いところに出たのかな。

   夫は大阪の実家へ。リュックの底に大きなカボチャを入れて出かけて行きました。これはオカーサンへのおみやげです。オカーサンと言ったらカボチャ、という観念が固定されていておかしいほどです。大阪にもカボチャは売っているはずだけれど、わざわざ運んでいくことに意義がある(?)。



   今日は母の話をしないといけません。母は三人兄弟の長女で、若いころから町役場で仕事をして家計を助けていました。母の父は四十代で亡くなったので、高校に行かずに母が働かなければいけなかったのです。それなりに淡い恋などもあったようですが、婿にはいってくれる小学校教員の父と結婚。(昔は小学校と中学校の校舎がつながっていて、父が中学生だった母を見染めたという話!)

   母の母、つまりわたしの祖母が一緒に暮らしていたので、母は役場の仕事を続けながら子どもも三人もうけました。キャリアウーマンの母のかわりに、祖母は主婦の仕事を一手に引き受けて、わたしたち兄弟のめんどうをみるのもほとんど祖母でした。だからでしょうか、祖母に抱きついたときの柔らかい感触と、油がしみ込んだような前掛けのにおいは思い出せるのですが、母に抱かれた記憶がないのです。

   それでもいつもきれいな母は、わたしにとって自慢で、朝、母が鏡台の前に座って、いい匂いのする化粧品を使ってパタパタとお化粧するのを、うっとりと布団の中から見ていました。

 夏のバラ
   
   学校の授業参観も祖母が妹をおぶって来てくれたり(本当は母に来てほしかった)、一切の子育てを祖母に任せていた母だったので、わたしのために何かしてくれたという、わたしの甘やかな思い出になかなか登場することがないのですが、鮮明に覚えていることがひとつあります。
   
   子どもの頃、家の前にあった大きな柳の木は、ドーム状に枝が垂れているので、その中に入ってままごとをするのには最適な場所でした。ゴザをしいて、友達と遊んでいると、母が家の中から出てきました。手にはお皿を持っています。お皿には卵焼きが。これは、普通の子どもにとってはなんでもないことなのでしょうが、遊んでいるわたしのために、友達の分も、卵焼きを焼いてくれるなんて、青天の霹靂でした。わたしは、きっとすごく喜んだのだろうな。友達にも自慢したい気持ちで、一緒に食べたのでしょう。甘ーい甘ーい卵焼きでした。おいしかった。

 三人兄弟?

   柳の下で食べた卵焼き。もう今となっては、わたしの記憶にしか残っていませんが、50年たっても色褪せずに思い出せます。母がちょっと振り向いてくれただけですごく嬉しかった小さいわたしの姿はちょっと悲しいけれど…愛されている実感なんて、そんなささいなことの積み重ねでできあがっていくのですね。

   こんな文章は母には満足いくものではないように思われますが、「あら、そんなことがあったの。」とゆるりと笑っているような気もします。岩手の、今は誰も住んでいない家にも百日紅の花が咲いているかな。母がいなくなって4年目の夏がきました。



   


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