タイトルに見覚えのある方、拙著を読んでいただきありがとうございました。
あれから、35年ほど経ちました。
バブルの不動産屋で私腹を肥やし(笑)た私の元に来てくれた黒猫ちゃん。
話すと長いですが、三味線の皮になるのを救いました。
バブルでなければ、一人暮らしの私に、彼をひきとる余裕はありませんでした。
命名マイケル。その頃大人気だったマイケル・ジャクソンと、アメリカの人気漫画の猫ちゃんの名前からいただきました。
彼との二人暮らしは一年半ほどで、私は彼を実家に預けてアメリカに留学し、帰国後もそのまま実家の子になりました。
大の猫好きの父がとてもかわいがってくれて、難病に侵されたマイケルを病院に通わせ、最後を看取ってくれたのも父でした。
最後まで短いしっぽを振って、父の呼びかけに応えていたそうです。
死は終焉ではない、通過点だと思う私です。
魂たちの行き先は、私たちがそれぞれが想像する世界なのか、それとも神(宇宙)しか知り得ない領域なのか。
真実が一つではないと同じように、自分の愛する者たちの行き先を自分で創造してもいいかなって思います。
天国や地獄を作るのは、生きている間の自分自身だと考えるのと同じように。
痛みも悲しみも苦しみもない世界には、逆に言えば快楽も喜びもないのかもしれない。
悲しみも喜びも、生きているからこそ。でも、痛みや苦しみは、欲しくないですね。
今の私があること、そして、いま隣にこたろうがいるのは、このマイケルが繋いでくれた縁だと思っています。
マイケルからロッキーへ、そしてこたろうに。
彼らは、寄り添っているだけで言葉よりも強いメッセージを与えてくれていると感じます。
それは、受け取る側の感受性でもあるでしょう。
それ以前に、すべての出会いは、生まれ落ちた時から始まるんです。
沢山のことを想いながら、この世で出会ったマイケルの姿を雲に乗せました。
東京では春一番が吹いたようです。
この言葉には、キャンディーズの歌を必ず思い出してしまうお年頃。
春は必ずきます。いまのところ。
ご訪問いただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫